697 名前:私の在り方 投稿日:03/07/20 15:52 ID:???
その少女、神楽を端的に表現するなら、『少年のよう』であった。
小さいころは男の子に混じって遊んで夏場は真っ黒になっていたし、
運動能力を活かした遊びなら男子にも負けていなかった。
その性格ゆえにそんな幼少時代になったのか、幼少時代がそんな性格を形成したのか、
それは誰にもわからないことだったが。
とにかく神楽は考えているよりも身体を動かすことが好きだったし、
その身体が男のように強いのならば、むしろ誇らしかった。
女であること、小柄であること、運動には邪魔な人より大きめの胸が不利につながるとわかっても
神楽は強くあろうと願い、そのための努力をすることが、挑戦しつづけることが自分の存在意義だと思うようになった。


698 名前:私の在り方 投稿日:03/07/20 15:53 ID:???
バスケットボールは小柄な神楽の手には大きかった。ドリブルしている今は関係ないことだったが。
背の高い敵側の生徒が神楽の行く手を阻もうとするが、神楽はそれを一人、二人と華麗にかわすと、ゴールのすぐ下へと
やってきた。神楽からゴールへの距離は他の人にとってのそれよりもずっと遠いものだったが、神楽はしなやかに
強靭な脚のばねを使い、その距離を一気に縮めた。その跳躍の頂点からボールを放ち、ボールが描いた放物線はゴールの
中央を通過した。
あまりに見事な動きに、参加していない生徒たちは完全に観客と化して、神楽の一挙手一投足に魅入られた。
当の神楽はそれどころではなく、守りにつくために自陣のゴールへと走っていった。迫ってきた敵のシュートを阻止して
ボールを我が物とすると、また敵をすり抜けてゴールへと向かい、跳躍して、シュートを成功させる。
それは試合中に何度も繰り返された。
もはやその場は神楽の独壇場だった。試合終了を告げるホイッスルが鳴ったとき、神楽のチームは大差をつけて勝利した。
神楽に敵う者はおらず、それでも神楽はいつだって全力で勝負した。
それぞれの部活の夏の大会が終わったあとのある秋の日、ある中学校の女子バスケットボール部対女子水泳部のOGによる
バスケットボールの親善試合が行われ、(と言っても実質遊びなのだが)当然神楽も参加していた。
普通ならバスケ部の勝利に終わるこの試合は、序盤はバスケ部が油断していたとはいえ、水泳部の勝利に終わった。


699 名前:私の在り方 投稿日:03/07/20 15:53 ID:???
「神楽さん、お疲れ様」
「ああ、ありがとう」
そう言って水泳部員の友人が渡してくれたタオルを神楽は受け取った。運動後の火照った身体に秋の風が心地よい。
「すごいね、神楽さん。バスケ部員を相手に圧勝なんて」
点差はもちろんだが、一回一回の選手同士の対決を見てもそのほとんどが『神楽の勝ち』といえる内容だった。
時間が経つにつれてバスケ部員の方もそれを自覚し、こちらも全力で向かっていったが、それでも神楽には敵わなかった。
「そうそう、今年のバスケ部って都大会ベスト4まで行った結構強いチームなのよ」
別の部員がバスケ部の強さを示すことで神楽への賞賛を強調する。他のチームメイトや後輩達も水泳部のエースを
取り囲み、口々に神楽を絶賛する。その輪の内側は明るく騒がしく、その年頃の女の子らしいムードであった。
神楽も自分の得意としていることで誉められることに悪い気はしなかった。
全力で勝負し、勝てたことが嬉しい。神楽はいつもそうだった。
対して輪の外側、バスケ部員たちが暗い雰囲気に包まれていたことに気付いた水泳部員はいなかった。


700 名前:私の在り方 投稿日:03/07/20 15:54 ID:???
夏の大会が終わり、三年生の神楽はすでに引退だが、神楽が鍛錬を怠ることはなかった。
実際には夏の暑さが少しずつ遠のこうとしているこの時期、新人戦に向けて練習はしているのだが、引退した立場で
プールを使うわけにはいかないので今はランニングをしている。
毎年プールの使えない時期になると自主的に行っていたランニング。そのコースの途中にある高校のそばを通るたびに
神楽は興味を引かれていた。
グラウンドから見える野球部や陸上部。何部かはわからないが、神楽のそばを走って通り過ぎるジャージの集団。
彼ら、彼女らが神楽に見せたものは確かな意志を持った力強い掛け声と、自分の力を信じるひたむきな表情。
目を凝らすと校舎の中も見えた。数人の女子生徒が楽しそうにふざけあっていた。
別のところでは二人の女教師が何やらしゃべりながら廊下を歩いていた。
一番目を惹かれたのはプール。遠目にも特別なプールだったわけではない。部員たちの表情は見えないが、
高くあがった水しぶきがそこにいる者たちの意志と力を確かに示していた。
ここには光が満ち溢れていた。目には見えないが、確かに感じる若さのエネルギー。
ここにあったのは神楽が思い描く青春の1ページそのものであった。
神楽はいつのまにかこの高校に憧れを抱いていた。
進路希望調査のときに、もちろんこの高校は第一候補にあがった。しかし、その偏差値をみて落胆した。
こんなの、私には無理だ。それにここには体育推薦がない。
結局、神楽は別な高校の体育推薦で妥協することに決めていた。好きなことをやっていられるんだし、それも構わないと。
いつのまにか足を止めて見入ってしまったことに気付いた神楽はランニングを再開した。


701 名前:私の在り方 投稿日:03/07/20 15:54 ID:???
昼休み、神楽は数人の友人を伴って体育館へと赴いた。目的は遊びとしてバスケをすることであり、同じ目的ですでに
何人かが体育館に来ていたが、その中に異質な女生徒がいた。その女生徒の動作は明らかに遊びではない基礎練習だった。
神楽はその女生徒に見覚えがあった。女子バスケ部の部長――引退したので正しくは元部長だが、
先日の親善試合で対戦した相手である。
もう引退したのに休み時間を使ってまで練習している。そんな一生懸命な姿に神楽は好感を覚えた。
「お、頑張ってるな」
だから、神楽はちょっとした尊敬を込めて声をかけたつもりだったのだが、
「いいわね、あなたは頑張らなくても勝てるんだから」
返ってきたのは棘のある言葉だった。
「何しに来たの? 惨めな敗者を笑いにきたの?」
「そ、そんなんじゃねーよ。ただ頑張ってると思って声をかけただけで」
「頑張っても私はたいしたことないのよ。それが現実なの 」
「そんなことない。あんたは強かったよ」
「じゃあ、その私に勝ったあなたはもっと強いって言いたいの!?」
神楽の言葉に偽りはなかったが、やはり返ってくるのは棘つきの言葉。神楽は言葉に詰まった。
「あなたみたいにロクな努力もしないでヘラヘラしながら勝てる人にはわからないでしょうね! 
 そういう人に得意なもので負けた人の気持ちなんか!」
努力してない? そんなことはない。神楽は人一倍努力家だった。
ヘラヘラしながら? それも違う。神楽はいつだって真剣だった。
だが、バスケットボールに関しては何か訓練をしたわけではないし、試合中以外は必死にうちこんでいるわけではない。
「勝てる相手にばっか挑んで、それでいい気になって! 自分だって大会では勝てなかったくせに!」
確かにそれは正しい。神楽が最も真剣に取り組んでいる水泳でも、全国大会へは行けなかった。
まっすぐに向けられた言葉の刃を、神楽は避けることも防ぐこともできなかった。
その言葉は全て正しかったわけではないが、何も反論できなかった。
自分に刃をむける目の前の少女をいたわることも勝者には許されなかった。
結局神楽にできたのは自分が存在することで傷ついてしまうこの少女の前から逃げ出すことだけだった。


702 名前:私の在り方 投稿日:03/07/20 15:55 ID:???
今まで考えたこともなかった。自分に負けた者の気持ちなんか。
もちろん私も負けたことだってある。すごく悔しかった。
私はそれを人に味あわせ続けてきたんだ。何度も人を傷つけてきたんだ、軽い気持ちで。
勝つことは相手を負かすこと。そんな簡単なことに今まで気付かなかった。
「神楽さん、あんなこと言われたけど気にしないで。いつだって真剣で明るくて、それですごく強くって。
 みんなそんな神楽さんのことが好きなんだから」
友達の言ってくれたことはとても嬉しかった。
でもガサツで無神経で人を傷つけて。なんでそんな私が好きなの?


703 名前:私の在り方 投稿日:03/07/20 16:03 ID:???
それから神楽がどこかで勝負をしている姿を誰も見なくなった。
傍目には『元気がなくなった』ようにしか見えないし、実際そうだった。
そんな折、突然呼び出しされた。あのバスケ部の元部長に。あの体育館での諍いから一ヶ月たち、
それ以来会っていなかったが、けじめはつけておかなければならないと思った神楽はそれに応じた。
指定の場所である体育館に着くと、そこには呼び出し主がユニフォーム姿でバスケットボールを持って待っていた。
「私と勝負しなさい」
彼女は唐突にそう言い放った。
「あなたは小さいのに強い。私は自分の弱さを思い知らされたわ。でもあなたには負けたくないの」
じゃあそのためにずっと練習を……。
「あんた、バスケが好きなんだな」
そうだ。負けることが悔しくても、それで傷ついてしまっても。それでも立ち上がって、目標に挑戦し続けて。
辛くても自分の好きなことに夢中になって、だからこそ楽しくて。楽しいから傷ついたっていい。
私だ。この目の前の挑戦者は私そのものなんだ。だから――
「わかった、受けてたつよ」
だから、神楽は全力で勝負した。


704 名前:私の在り方 投稿日:03/07/20 16:03 ID:???
進路希望調査の神楽の第一志望の欄を見た担任の教師は驚きの顔をみせた。
「神楽、お前がこの高校を……」
教師の言葉を遮って神楽は言った。
「はい、わかってます。私の成績じゃその高校は難しいってことは。でも私はその高校に行きたいんです。
ダメかもしれなくても挑戦するんです。後悔しないように」
教師を見据える神楽の瞳には挑戦者としての強い意志が宿っていた。

それからの神楽は人が変わったように勉強に打ち込んだ。休み時間に友達を誘う事はなくなり、暇さえあればその時間を
勉強につぎ込んだ。だが、その一方でランニングを始めとした自分自身の鍛錬も怠らなかった。
それを怠ったら自分が自分でなくなってしまうような気がしたから。
始めは無茶だと考えていた周囲の者たちもそんな神楽の姿を見てその気持ちは応援へと変わっていった。
受験の時期になると神楽の努力は成績にも反映され、合格への希望が見えてきた。受験会場で震える神楽に同じ志望の
受験生たちがかけてくれた「神楽ならきっと大丈夫」という励ましの言葉は神楽にとって大きな力となった。
だから、合格が決まったとき、神楽は恥も外聞もなくはしゃぎまわったし、周囲の者たちも神楽を祝福した。
神楽の幼い少年のようなまっすぐさに周囲の者たちは惹かれ、心を開き、それによって神楽自身も楽しく、明るくなれる。
神楽にはそんな才能があるのかもしれない。


705 名前:私の在り方 投稿日:03/07/20 16:04 ID:???
そして神楽が待ち望んだ春がやってきた。
希望を胸に新しい日常へと踏み出してきた若者達を桜並木が迎え入れる。
神楽もその中の一人だった。暖かな春の日差しと舞い散る桜吹雪が神楽たちを浮かれた気分にさせた。
神楽が憧れていた学校。今はここにいる。学校の外からここを眺めていたときに感じていた言葉では説明できない明るさ。
きっと私をも明るくしてくれる。神楽はそう信じた。

ここで私は何をしようか――まずは水泳だ。この高校が強いかどうかなんて関係ない。全て私次第だ。
余計なことは考えずに挑戦する。自分でそう決めたから。私は私らしくいようと。
バカなのも、ガサツなのも、男みたいなのも。強さに限界のある女でも、小柄でも。
考えるのが嫌いで、スポーツが好きで、それで人を傷つけてしまっても。それが私なんだ。
いいかげんなことはしない。後悔もしない。それが私が傷つけてしまった人に対するせめてもの償い。
それが正しいかどうかはわからないけれど、私はバカだからそれしかできない。
ふと周りを見回してみる。ここにはいろんな人がいる。でもここは進学校だから、私みたいなのは多分いないだろう。
私と勝負できる人なんていないかもしれない。また誰かを傷つけてしまうかもしれない。
私とわかりあえる人なんていないかもしれない。
それでも構わない。私自身がここにいることを望んだのだから。ここにきたことを悔んだりはしない。

でも、もし、ここでそんな人と出会えたのなら――
きっと、嬉しい。

―終わり―