- 166 名前:R.F. ◆uekdll3sCM 投稿日:03/02/09
20:49 ID:???
- ■ある場末の小さなバーにて(1)
意図的に照明が暗めに落され、ジャズが小さなボリュームで流されている、どこにでもありげなバー。
二人の男がそのバーのママと他愛もない話を続けている。
二人はこのバーにとっては馴染みの常連。
週一くらいのペースでやってきて適度に金を落してくれる彼らは、この場末のバーでは上客であり、
当然のことながら多少は気が知れた仲となっていた。
もちろん、二流小説にあるような肉体関係はまったくない。
ママにとって男性は抱く対象ではなかった。
理由は分からないが、客達もそのことは良く理解していた。
彼ら、そしてその他この店のお客にとっては、彼女との会話が最高のごちそうだったのであり、
肉体がどうとかいうのはどうでも良い問題だった。
「ママ、そういやこの店、ママの名字じゃないよね?」
「そういやそうだ。誰の名前なん?」
バーの客がママの出した酒をちびりちびりと口に含みながら、
いつもの他愛も無い話のネタに、店の名前を出した。
そういやこの店に通い出して長いことになるけど、一度も聞いたことはなかったな。
カラリ、と客のグラスの中の氷が音を立てる。
しばらく黙っていたママは、その音が何かの合図であったかのようにため息をついた。
「ん……昔ね、私が好きだった人の名字なのよ」
「へー。ママにもそんなラブラブな時代があったんだ?」
「まぁ、ね……」
- 167 名前:R.F. ◆uekdll3sCM 投稿日:03/02/09
20:50 ID:???
- ■ある場末の小さなバーにて(2)
ママはそういうと、お客用のではないグラスを戸棚から取りだし、氷を入れ、
少々きつめの水割りを作る。
新品同様のグラスの中に入れられたマドラーでゆっくりとかき混ぜられたそれは、
カランカランと軽い音を立て、すべてのものを見通すような神秘的な黄金色の液体に
変化していく。
「ねぇ」
「はい?」
「今日は私も……飲んでいいかしら……?」
ママの意外な反応に、二人の常連客は少しだけびっくりした。
そしてグラスを持つママを見て、もう少し驚かされ、さらに少しだけ鼓動が高鳴る思いをする。
髪をかき上げることで、セミショート気味の髪がさらりと宙を舞い、
微かなリンスの香りが鼻腔を刺激する。
何気ない香りであるにも関わらず、二人の客にとってそれはすべての感覚を狂わすような
絶妙の媚薬のようでもあった。
- 168 名前:R.F. ◆uekdll3sCM 投稿日:03/02/09
20:50 ID:???
- ■ある場末の小さなバーにて(3)
一人の客が我にかえる。
時間にしてみれば数秒に過ぎなかったかもしれないが、二人にとっては
数時間にも感じられたかもしれない。
「え、あ、はい、いいっすけど……」
もう一人の客も、相棒の科白に自分を取り戻し、話を続ける。
「ど、どうしたん、ママ? いつもは『お客さんとのお話が私の最高のお酒なのよ』とかいって
絶対ここじゃ飲まないじゃない?」
右手の三本指だけでグラスをつかんで、もてあそぶようにわずかに振り、
カラカラと氷の音を立てさせながらママは言った。
「私にも、ね、」
そこでママはバーのスミに、インテリアのように飾られている、
ちょっとだけホコリのかぶったカメラに目をやり、また少しだけ憂いたような、
どこか遠くを見ているかのような表情をして、続けた。
「私にも、お酒の力を借りないと話せないこともあるのよ……」
バー「さかき」のママ、かつて高校では「かおりん」と呼ばれていた一人の女。
彼女は手にしていたグラスの水割りをくい、と一口くちに含んだ後、
高校時代のことを語りだした。
(続……かない・゚・(ノД`))