- 71 名前:かかおかおりん・その1 投稿日:03/01/25 02:34 ID:???
- 聖バレンタインデー。
古代ローマ時代の殉教者の名を冠した日。いや由来などはどうでもいいのだ。
想い人にチョコレートを送ることにより、気持を伝えられる恋の宴。
春の息吹も聞こえる季節、少女の心を後押しして舞う一陣の風。
日頃どことなく後ろ暗さを感じてしまい口に出しては言えない事も、この嵐の中でなら言える。
そう、私――かおりんは、明日、榊さんにチョコレートを渡すのだ。
去年は失敗だった。
直接渡すタイミングが計れず、靴箱に忍ばせておいたのだが名前を書き忘れていた。
だから、今年は正攻法で行く。
まず、チョコは手作り。そしてそれを放課後に渡すのだ。
『あの……榊さん』
『なに? かおりん』
『えと、これ、バレンタインのチョコです。女の子が手作りなんて、可笑しいですか?』
『そんなことないよ。嬉しいよ』
『本当ですか?』
『うん……。そうだ、このチョコ一緒に食べよう』
『ええっ!』
『折角作ったんだし、かおりんも食べよう』
『ええ、はいっ』
『……うん、美味しいよ』
『本当ですか? よかったあ〜』
『あっ』
『どうしました』
『かおりんの唇に、チョコがついてる』
『あ、そんなっ、さかきさ』
「ぐわあ〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!」
思わず己の妄想に激昂してしまった。
幸い、家の中には誰もいなかった。
- 72 名前:かかおかおりん・その2 投稿日:03/01/25 02:35 ID:???
- とりあえずチョコを用意しない事には始まらない。
最近は手作りチョコ用のキットが売っているのでそれを買うことにする。
駅前の洋菓子店まで行き、なるべく怪しまれないように自然な装いで、そう、さりげなく買うのだ。
電柱の影から店内を窺う。顔見知りはいないようだ。よし、今だ。
「あ、かおりん」
「うじゃあっ!!」
いきなり後ろから声をかけてきたのは、よみだった。
「買い物?」
「え、あ、うん、はははは」
私の顔と目の前の洋菓子店を見比べて微笑む。「ははあん、そういうことか」
「ななななななななななによ! そういうことって!」
「いやなに、バレンタインデーの前日に女の子がお菓子屋さんに入るのはごくごく自然な事だよ」
「そ、そうよね! そうなのよね!」
「わかってるって、内緒にしとくよ。じゃあ、ごゆっくり。頑張れよ」
そういうとよみは駅の方へ向かっていった。
なにか引っ掛かるが、まあいい。しかし、よみは何故こんな所にいたのだろう。駅からこっちにある女の子向けの店はこの洋菓子店だけだというのに。
チョコ作りそのものはすぐに終わった。湯煎して型に流すだけだ。
ハート型というのも芸が無いが、スタンダードにはスタンダード足りうる実績がある。
問題は文字だ。
カカオチョコの上にホワイトチョコでメッセージを入れたいのだが、気の利いた文句が思いつかない。
<I Love You> 直球過ぎる。もう少し捻ろう。
<いつも貴女を想っています> なんか怖いな。もっとエレガントにいきたい。
<瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の> 崇徳院か。渋いがこれじゃ心中をせまってるみたいだ。
<義理チョコ> いや、受け狙いをしたいわけじゃない。
さんざ悩んだ挙句、手書きで冬の星座を描き、名前を添えておいた。結局の所、自分の気持は言葉や文字などでは表せないのだ。
- 73 名前:かかおかおりん・その3 投稿日:03/01/25 02:36 ID:???
- そして当日。
朝から気もそぞろで、授業の内容など全く耳に入らない。
放課後になったら渡す、と決めていたので榊さんと顔を合わせるのは気まずく感じ、休み時間のたびに教室を逃げ出した。学校のあちこちでチョコが飛び交っていた。
衝撃的なことに、一年生の女子が徒党を組んで一斉に榊さんにチョコを渡しているではないか。天気晴朗なれども波高し。ああ、でも紙袋いっぱいのチョコを抱えて困り顔の榊さんもまた素敵。
放課後を待ち教室から他の生徒がいなくなる頃合いを見計らい、思い切って声をかける。
「さ、榊さん!」
「えっ」
「きょきょきょ今日は、一緒に帰りませんか」最後の方で声が裏返ってしまった。
榊さんは黙ってうなずき返した。
教室から昇降口まで歩く間、何も話す事ができなかった。胸の鼓動が耳から漏れるようだった。
そして校門に向かい運動場を横切ったその時、樹木の陰から夕陽が二人を照らした。その淡く透き通った光の中で二人の影が浮かび上がる。
私はただ自然に手を伸ばした。
「これ、チョコレートです。受け取って下さい」
榊さんは黙って受け取ると。ありがとうと微笑み返してくれた。
そして。
「かおりん、これは私から」
- 74 名前:かかおかおりん・その4 投稿日:03/01/25 02:36 ID:???
- 榊さんはおもむろに鞄から、可愛い包装紙に包まれた小箱を取り出して差し出した。一瞬、目の前の風景が全てホワイトアウトし、次の瞬間には心の中で火花が散り胸の奥から頭の上に鐘の音が突き抜けた。
春の嵐、到来。
「さ……さかきさ」
目に涙が浮かんでるのも構わず両手を広げて榊さんの懐に飛び込もうとしたその時。
「榊さーん」
「あ、ちよちゃん」
後ろからなんか小さいのが駆けて来た。
「榊さん、はい、チョコレートですっ」
「ありがとう。はい、これ」
そう言うと榊さんは鞄の中から同じ包みを取り出し、ちよちゃんに渡した。
「さ、榊さん、それって」
「今年のバレンタインはみんなにチョコを配ろうって、二人で決めたんですよー。これ、かおりんさんの分です」
可愛いリボンのついた小さな包みを黙って受け取る。
「あ、ありがとう……ちよちゃん……。あ、はは、あはははは」
冬の夕日が広い校庭に私の影を落としていた。その長さは、春がまだ少し先であると私に教えてくれた。
榊さんのチョコレートは甘くて苦い、ビターの香りがしました。
(おわり)