- 677 名前:R.F. ◆uekdll3sCM 投稿日:03/07/13
21:39 ID:???
- ■彼女が変わるとき-1
「榊、明日の土曜日、ちょっと時間くれないか?」
榊の家に神楽から電話がかかってきたのは、まだ梅雨も開けきらぬ六月のある金曜の夜だった。
榊にとって神楽は、高校時代からの付き合いで、今も月に一、二度は下宿先に遊びに来て
夜遅くまでお互いの近況を語り合う仲。
はじめて知り合ったのは高校の二年生の時。
最初は神楽の方から一方的に話しかけることが多かった。
だが、榊は神楽、神楽は榊の「自分が持っていないもの」を相手に求めているふしがあったからか、
いつの間にか無二の親友の間柄になっていた。
性格のまったく正反対の二人が仲良くなることは良くある話。
それは恋人同士の間でも、同性同士の「親友」という間柄でも変わるところはない。
とはいえ、神楽が榊のところに遊びにくるときには、
必ず数日前に電子メールか電話で榊のスケジュールを確認し、その上でお土産持参でやってきた。
大雑把な性格、と自他共に認める神楽にしてみれば珍しい行動だが、
神楽は榊が、獣医になるべく懸命に勉強していること、
そのため授業や講習などで世間一般に言われているような「(遊び中心の)大学生」とは違うことを知っており、
神楽なりに気をきかせてのものだった。
また榊も、そうした神楽の配慮を分かっており、その気遣いがうれしかった。
榊の飼い猫(?)のマヤーも、毎回美味しいお土産を持ってくる神楽のことを「よきお客」として覚え、
今では神楽がくるたびに足元にすりよるまでに慣れていた。
- 678 名前:R.F. ◆uekdll3sCM 投稿日:03/07/13
21:40 ID:???
- ■彼女が変わるとき-2
そんな神楽から、いきなり明日、時間をくれないかとの電話を受け、榊は少々驚いた。
何か急な用事でもあるのかな、と思い、とりあえず受話器に向けて
「ちょっと待って……スケジュール確認するから」と答えつつ、手帳をぺらぺらとめくる。
幸い、明日単独の予定は何もない。
昨日から明日までの予定で矢印が伸びているレポート作成も今日のうちに仕上げてしまえば大丈夫。
「ん……大丈夫みたい」
「そ、そっか。それじゃ、ちょっと一日付き合ってくれないかな。
お願い、というか相談したいことがあるんだ」
「お願い? 何を?」
「ん〜。電話で話すのもナンなんで、明日。じゃあ、午後一で。あ、よみも一緒にいくから」
「え……? いいけど、なんで水原さんも?」
神楽が他人を引き連れて自分の家に来るのは初めてだ。何か理由があるのだろうか。
クエスチョンマークを頭に浮かべながらの榊の質問に神楽は答えずに、
それじゃよろしく、とだけ言い、電話を切った。
受話器を置きながら、そういえば水原さんのことは暦さんって言わなきゃと、
自分の頭を軽くこづきながら、榊は思った。
が、それよりも、なんで神楽が暦も引き連れて、急にうちにくる必要があるのだろうかという疑問の方が、頭の中を占めていた。
とにかく、明日に備えてまずはレポートを終わらせなくちゃ。
榊は手帳のスケジュールの明日のコマに「午後:神楽・水原→来宅(13時)」と書き加え、
スクリーンセーバーの走っていたノートパソコンに向かい、レポートの残りを再び打ち込み始めた。
- 679 名前:R.F. ◆uekdll3sCM 投稿日:03/07/13
21:41 ID:???
- ■彼女が変わるとき-3
あくる日の土曜。
朝から降ったり止んだりの中途半端だったお天気は、午後から梅雨特有のしとしと雨に変わり、
街中を色とりどりの傘で美しく飾らせた。
そんな雨の中、神楽と暦は榊の家にやってきた。
二人を中に案内した榊はそそくさとテーブルを出し、お茶やお菓子を用意する。
その間に神楽と暦は、マヤーとの久々の再開を楽しんでいた。
「さて。どうして私を呼んだのか、そろそろ教えてほしいんだけど?」
「私も……そろそろ用件の理由、教えてくれない?」
暦と榊の質問に神楽は顔をうつむけたまま答えなかった。
テーブルに用意された三人分のお茶碗からそれぞれ湯気が立ち、
神楽が持ってきたお土産をマヤーが楽しんでいる音だけが響く中、しばしの沈黙が部屋を支配した。
「実は……そ……か……お……」
ようやくのことで神楽が口を動かしだしたが、あまりにも声が小さく、聞き取ることが出来ない。
ん? という疑問符を発した暦は
「何? もうちょっと大きな声で言ってくれないかな」
と神楽に問いただす。
神楽ももう観念したのか、恥ずかしさで真っ赤になった顔を上げ、大声で叫んだ。
「かわいい女の子の格好を教えてくれ!」
それだけいうと、神楽は自分の両手で赤く染まった顔を隠してしまう。
- 680 名前:R.F. ◆uekdll3sCM 投稿日:03/07/13
21:42 ID:???
- ■彼女が変わるとき-4
「……!?」
「……?!」
神楽の大声にマヤーもさすがに驚き、びくっと反応する。
しかしそれより驚いたのは暦と榊だった。
声の大きさに、というより、神楽からそんな科白が出てくることが半ば信じられなかったのだ。
今日、今ここにいる神楽は、いつものようにTシャツに薄手のチョッキを着、ジーンズをはいているボーイシックな格好。
体のラインをいつも気にしている暦にしてみれば、引き締まった羨ましいスタイルに他ならない。
半ば「ボーイシック」という代名詞が(少なくとも服装においては)神楽を表す
ぴったりの言葉であるかのように思っていた二人にとって、びっくりしないわけにはいかない。
ともあれ、神楽から詳しい話を聞かねばなるまい。
そう思った榊はすばやく箪笥から新しいハンカチを取り出し、神楽に渡すと
「言いたいことだけは分かったけど、詳しく理由を話してくれなきゃ……」と説明を促した。
神楽はハンカチを受け取り、涙を拭いて鼻をすすると、事情を話しはじめた。
いわく、いつも仲良くしている大学の同級生とちょっと喧嘩をした。
売り言葉に買い言葉ではないが、彼に「可愛い自分の姿を見せて見返してやる」ことになった。
けれど今まで「女の子らしい格好」をしたことがないので、どうしたらよいかわからない。
やっぱり自分は全然かわいくなんかないんだろうか、と思いつつ鏡で自分の顔を見ると、
どうしようもない寂しさと不安を感じてしまった。そこで、相談を持ちかけたとのこと。
ちなみに、ちよはアメリカに留学中だから相談するわけにもいかず、
大阪は同じ大学の智とつるんでいるし、智は智でこんな相談をもちかけようものなら、
半年はずっと話のネタにされかねないと思い、相談相手に榊と暦を選んだのだという。
- 681 名前:R.F. ◆uekdll3sCM 投稿日:03/07/13
21:42 ID:???
- ■彼女が変わるとき-5
榊は「あぁ、いつも神楽の話に出てくる、同じ高校にいたあの教育学部の人かな」と思う一方で、
「単なる腐れ縁って言ってたけど、やっぱり気にもなっていたのかな」と一人ごちる。
暦は暦で
「その判断は正しい。智に相談しようものなら、半年はおろか一年は昼飯のオゴリのネタにされかねない」
ときっぱり言ってのけた。暦のあまりにもの力強い断言の調子は、神楽をして
「もしかするとよみはもうすでに智に、ネタにされそうなことを握られたのかな」
とまで思わせたほどだった。
うとうとしだしたマヤーを寝床に戻し話をすべて聞いた榊と暦は、
他ならぬ神楽のため、どんな服装や化粧が良いのか、必至になって考えることにした。
榊が自分のノートパソコンをテーブルの上に持ってきてネットにつなぎ、さまざまな情報をピックアップする。
暦は暦で、榊に用意してもらった紙に、榊が調べたビジュアルなどを元に、
色々なイメージ画を次々にラフの形ではあるが描き出していく。
この正月に、榊のすすめで国家公務員試験第一種へ向けた受験勉強を始めた暦だが、
どうやら装飾関連にもそれなりの才能があるらしい。
神楽はただそれを眺めているしかなかった。
「ジーンズは問題外だな」
「靴下は清潔感を表す白がいい……」
「あまりごてごてとした装飾はかえってケバくみえるから駄目だ」
「……首飾りもあるといいかもしれない」
榊と暦はいくつかまとまったイメージを神楽に見せる。
だが神楽は「ん〜。実際に着て見ないとわかんないな〜」と戸惑い気味。
それはそうだ。今までそんな格好したことなかったのだから。
- 682 名前:R.F. ◆uekdll3sCM 投稿日:03/07/13
21:58 ID:???
- ■彼女が変わるとき-6
「じゃ、早速買い物に行こうか。雨降っているからお客も少ないだろうし、ゆっくり品定めできる」
暦は二人を促すように、近所のデパートの名前を挙げ、買い物に行くことを提案した。
にべもなく、榊と神楽の二人もそれに従う。
夏・冬とアルバイトをしている割には使う目的があまりない
(マウンテンバイクや水泳、ストレッチの道具などはすでに買い揃えていた)
神楽は、それなりに持ち合わせもあった。
それに、「可愛い女の子の服も一着くらい自分で揃えたいな」と今日の買い物のことを父親に話すと、
大げさにうれし泣き(神楽には半分冗談に見えた。それが照れ隠しのためなのかどうかは分からなかったが)をしながら、洋服代の足しにしなさいと寄越してくれた小遣いもあったため、
お金の心配は要らなかった。
洋服売り場で色々試着しながら、榊の家で色々考えていたイメージにマッチしたスカートや上着、
それに暦が薦めた白いハイニーソを選び、神楽はやはり真っ赤な顔をしながらそれらの服を購入した。
さらに榊と暦の二人のチョイスで、クジラを形どった首飾り、ちょっと薄い色のルージュ、小物入れ代わりのポーチ、
そしてキャッチコピーいわく「魅惑的な香りで男性を直撃する」という香水も購入した。
一通り買い物が済んだ後、「お駄賃」ということで神楽は二人に餡蜜をごちそうした。もちろん、暦が指定した「穴場」の甘味処で、だ。
- 683 名前:R.F. ◆uekdll3sCM 投稿日:03/07/13
21:58 ID:???
- ■彼女が変わるとき-7
買い物袋を抱えて榊の家に戻ってきた三人は、早速「着こなし方」を神楽に教えるべく、
神楽に試着をするよう促した。
最初は慣れていないせいか難儀していた神楽も、榊や神楽のアドバイスで、
何度か着直していくうちに、それなりにこなれていく。ルージュも薄く引いてみる。
全身鏡に映った自分の姿を見て、神楽は「はぁ〜」とため息をつく。
疲れたから、とかイヤになったから、ではない。
鏡に映った自分が、自分でないようにすら見えたからだ。
しばらくじっと自分の姿をながめていると、鏡に映った自分の姿の後ろに、
暦がニヤニヤとし、榊が驚くようすが映る。
「ははーん。馬子にも衣装、ってやつかな?」
「別人みたいだ……」
「ど、どうでもいいだろ!」
神楽は必至になって照れを隠そうとするが、暦はさらにニヤニヤするばかり。
その一方で榊はある本を持ってきて、神楽と暦に見せる。
「髪型だけど……今のようなラフなカットよりはきれいにまとめた方がいいと思う」
暦も、榊のすらりと伸びる長髪にちょっとだけ目をやり、榊の意見に賛成する。
「そうだね。ウィグという手もあるけど、それはやりすぎかな」
「神楽の髪はカツラで隠さなくても、ちゃんと手入れすればきれいになる。
水泳やっていると痛みやすいから、お手入れが大変だけど……」
「そ、そうなのか?」
何をするにも聞くのもはじめてなことばかりで、神楽はただ驚くばかりだった。
ウィグ(主に女性向けのカツラを指す)という言葉が何なのかもわからないほど。
- 684 名前:R.F. ◆uekdll3sCM 投稿日:03/07/13
21:58 ID:???
- ■彼女が変わるとき-8
髪の毛はさすがに素人で整えるわけにはいかないので、
明日の日曜日に美容院で整えてもらうようにしてもらうことにした。
電話で明日の予約をした美容院のことを考えながら、買ってきた服を脱ぎ、
いつもつけていると思われるシンプルなデザインの薄いブルーのブラとショーツ、
今日買ってきた白いハイニーソだけの姿になった神楽に、
暦がまたニヤニヤしながらぼそりと神楽につぶやく。
「……下着も新着しなくてよかったのか?」
一瞬のうちに神楽の顔が真っ赤に染まる。その赤さはおそらく今日一番のものだろう。
発熱すらしているかもしれない。
「し、し、下着はべ、別に……どうだっていいだろ!!」
暦の言葉が何を意味するのか、ひとときの間の後に理解した榊は、
神楽に負けないくらい真っ赤な顔をして顔を手で隠してしまう。
騒ぎで目を覚ましたマヤーは、主人と神楽のようすを見て、心配そうにおろおろするばかりだった。
- 685 名前:R.F. ◆uekdll3sCM 投稿日:03/07/13
21:58 ID:???
- ■彼女が変わるとき-9
「じゃあな、今日はどうもありがとう! やっぱり榊とよみに相談してよかったよ」
雨の中、右手で持った傘を左右に振りながら、玄関にいる榊と暦に、神楽が外から挨拶をする。
「いやいや、私も餡蜜おごってもらえたし。じゃあ、頑張れよ!」
「……がんばってね、神楽」
暦と榊もそれぞれ手を振り、神楽の挨拶に答える。
神楽の姿が見えなくなってから、榊と暦は部屋に戻り、榊の用意したお茶をすする。
マヤーは榊のひざに飛び乗り、気持ちよさそうにゴロゴロと鳴いている。
「月曜日、っていってたよな……」
ふいに暦が、神楽があの服装をして「同級生」と会う日のことを口に出した。
「うん……。そう」
「うまくいくといいね。神楽、単刀直入で竹を割ったような性格だからみんなに好かれるんだけど、
一人のひとと目を向き合って付き合うってのは、意外に苦手なのかもしれないから」
榊は暦の分析にはただうなづくだけで答え、「うまくいくといいね」の部分にだけ、自分の想いをもこめて、暦に返事をした。
「そうだね……」
ある土曜日の夜。「約束」にて、神楽が告白をする二日前のお話である。
(終わり)