471 名前:曇りのち雨のち… 投稿日:03/05/20 21:30 ID:???
その日の休み時間、榊は空を見ていた。別に空を見るのが好きなわけではない。
ただ話す相手がいないから、特にすることがないから、席が窓際だから空を見ているだけである。
晴れた日の青空なら見ていて明るい気分になれるが、
その日の空はどんより曇っていて、見ていても楽しくはなかった。でも空を見ていた。
そうすることで孤独に慣れることができた。
「あれー?よみ、また太ったんじゃない?」
「またって言うな!」
「やっぱり昨日の鯛焼きのせいだよな。悩んだくせに3つも買うから」
「うるさい!カロリー控えめだったからいいんだよ!」
「今日も帰り食べよっと。ダイエットが気になる人は見てるだけでいいから」
「お前はー!」
教室に一際大きい声が響く。クラスメートの智と暦だ。こんな日でも、いや、どんな日でもこの2人は
騒がしい。そして、仲がいい。
榊はこんな2人の仲をうらやましく思っていた。どんなときでも本音で語り合える、嘘を言ってても本音
が通じる、ケンカをしてるように見えても心が通じ合っているこの2人が。
そんなふうに心が通じる相手。自分には現れるのだろうか。


472 名前:曇りのち雨のち… 投稿日:03/05/20 21:31 ID:???
「榊―」
不意に榊の周りにだけあった静寂が破られた。2年生に進級してからクラスメートとなった神楽が声を
かけてきた。雑誌片手に近くの椅子を引き寄せて榊と向かい合うかたちで座った。
マウンテンバイクは最近買ったらしく、神楽の興味は別のものに移っていた。
「よさそうなスニーカーがいくつもあってさー どれにしたらいいか迷うんだよなぁ」
神楽が広げてみせたページにはいくつものスニーカーが載っていた。どれも神楽らしいスポーティな
外見の靴が並んでいたが榊にはそれらにどんな違いがあるかわからなかったし、わかろうとも思わなかった。
神楽が別の特集を見るためにページをめくっていると、榊は途中のある1ページが目にとまった。反射的にそこに
指を入れてページを確保しようとする。しまった、と思ったときにはもう遅い。榊の卓越した反射神経と
瞬発力はそれを成功させてしまっていた。
「な、なんだよ」
榊の突然の行動に神楽はとまどった。
「…いや、なんでもない」
榊は顔を赤らめ、指を引っ込めながら言った。
「なんでもないことはないだろ」
言ってから神楽は紙のゆがみから指を入れたページを見つけ出した。そこにはかわいいぬいぐるみが
いくつも載っていた。


473 名前:曇りのち雨のち… 投稿日:03/05/20 21:32 ID:???
「なんだ、榊こういうのに興味あるんだ」
「…いや、あの」
榊は狼狽し、口ごもった。
やっぱり私がこういうものを好きなのはおかしいだろうか?
私にかわいいものは似合わないだろうか?
この人は私を変だと思うのだろうか?
榊は自分自身を追い詰めるような思考を始めた。それは榊自身が作り出していた心の壁だった。
人が自分をどう思っているか、自分にかわいいものは似合わないと思われているのか。
そんなことを気にしているために、いままで自分の趣味を分かち合える、
心の底から通じ合える友達ができなかった。そして榊自身はそれに気づいていなかった。
「なんか変な感じだなー こういうのが好きってなんか似合わないな」
何の遠慮もなしに言った神楽の一言は榊の心を深くえぐった。
「そこまで言う事ないじゃないか!」
いきなり心の一番深く繊細な部分に踏み込まれた榊は普段からは想像つかないほど声を荒らげて言った。
「なんだよ。こういうの私にはよくわからないからさ。それでちょっと変だと思っただけだ」
「私だって君の趣味はどこがいいのかわからない!」
「そんな言い方ないだろ!頭がいいからって自分の方がいい趣味だって思うなよ!」
「私はそんなことは言ってない!」
突然始まった口ゲンカはしばらく続き、クラス中の視線がそこに集中したが、当の2人だけがそれに気づかなかった。
授業の開始によりケンカが終わると、神楽は自分の席に戻り、榊は神楽とは反対の方、すなわち空を見た。
外はいつのまにか雨が降っていた。


474 名前:曇りのち雨のち… 投稿日:03/05/20 21:32 ID:???
昼休み。普段なら神楽が席にやってきて一緒に弁当を食べるのだが、この日、神楽は来なかった。
弁当は持っていたが、どこかこの教室ではない別のところで食べているようだ。
暗い空を見ながら食べた弁当はなぜかおいしくなかった。
別に神楽が来てくれるのが楽しみだったわけではない。一緒に弁当を食べるのが楽しいわけではない。
神楽の話を聞いてて楽しいわけではない。それなのに、なぜこんなに心が暗いのだろう。
なぜ、あのときあんなに怒ってしまったのだろう。図星だったから?
今の榊を支配している感情は後悔だった。
まるでこの世の終わりみたいな暗い気持ち。これはいつまでも続いてしまうのだろうか?
「榊」
食堂から帰ってきた隣の席の暦が声をかけてきた。
「友達ってさ、ケンカしても何しても簡単には離れないものなんだ。お互いが友達だと思っていればね。
だからあんまり思いつめるなよ」
榊には何も答えられなかった。
私と神楽は何も分かり合ってないけど、友達なのかな?
何でも分かり合っているあの2人みたいになれるかな?


475 名前:曇りのち雨のち… 投稿日:03/05/20 21:33 ID:???
放課後、ホームルームが終わると同時に神楽は榊の席の方にやって来た。
「あのさ、その……ゴメン!私が悪かった!」
神楽はうつむいてから、しかし、榊に向き直ってはっきりといった。
神楽の素直な言葉に榊はなぜかそれだけで神楽を許せる気分になった。
「私の方こそゴメン。……今日は一緒に帰ろう」
「うん!」
榊は微笑みながら言い、神楽も笑顔で返した。
そうか。こんな簡単なことでいいんだ。


476 名前:曇りのち雨のち… 投稿日:03/05/20 21:34 ID:???
「それで、スニーカーなんだけどさ……」
雨があがった帰り道、神楽は話を切り出しておきながら、途中で言葉を切った。今日のケンカの原因を思い出したのだろう。
だが、榊はその言葉を受け取り、返事をした。
「で、それってどういうものなの?」
榊は共通する趣味がないのに仲のいいあの2人を見て悟った。
お互い分かり合うためには、自分が相手をわかってやらなきゃいけない。
「で、これなんだけどさ」
神楽は雑誌をカバンから取り出し、それを見せながら笑顔でその説明を始めた。榊もその話に聞き入った。
話を聞きながら榊は考えた。次があったら、今度は私からだからね。

「ん?榊、なんか考え事してる?」
「いや、なんにも」
神楽はそのことはどうでもよかったのか、突然話を変えた。
「なあ、明日休みだからさ、サイクリング行こうぜ。マウンテンバイク買ったしさ。」
「……うん」
榊は答えてふと空を見上げた。数時間前、空を暗い灰色に染めていた雲は
いまでは青い空に白の彩りを添えていた。
それをみて榊は気づいた。
たまに色を変えるから青空はきれいだと思えるんだ。そのとき楽しくなくても、晴れを望めば雲はいつか晴れる。
たまに曇りだったり雨だったりすることも悪いことじゃないんだ。

――でも、明日は晴れたらいいな。

―終わり―