748 名前:私の魔法猫 投稿日:03/07/31 21:24 ID:???
あるところに、さびしがりやの女の子がいました。
女の子にはいっしょにあそぶ友達がいなくて、いつも猫のぬいぐるみをかわいがっていました。
女の子はいつも猫のぬいぐるみをだきながら「友達がほしい」とねがっていました。
ところがある日、女の子はだいじなぬいぐるみをなくしてしまいました。
さがしてもさがしてもぬいぐるみは見つかりません。
三日たって、とほうにくれて町を歩いていると、いっぴきの猫にであいました。
その猫はなくしたぬいぐるみにそっくりでした。
女の子が手をひろげてむかえると、猫は女の子のむねにとびこんできました。
女の子が猫をだいてわらっていると、男の子がやってきました。
「その猫は君のなの?」男の子はいいました。
「ううん、ちがうよ。この猫はあなたのなの?」女の子はいいました。
「ぼくのじゃないよ。三日まえにさんぽしてたらすてられてたんだ。
ときどきエサをあげていっしょにあそんであげてる」
「この猫をかわないの?」
「ぼくのうちでは猫はかえないんだ。君は?」
「わたしのうちもダメなの」
女の子と男の子がこまっていると、男の子がていあんをしました。
「それじゃあさ、ふたりでこの猫のめんどうみようよ。君もこの猫のこと好きなんでしょ?」
「うん、さんせい!」女の子はえがおでこたえました。
それから女の子と男の子は猫といっしょにあそぶようになりました。
猫と男の子とあそんでいるじかんは魔法のようにたのしいものでした。
女の子にとってのはじめて友達ができて、それまでのさびしさもわすれていきました。
「ねえ、魔法ってあるとおもう?」ある日女の子がいいました。
女の子は、じぶんが猫のぬいぐるみをだいじにしていたこと、それをなくしたこと、
ぬいぐるみにそっくりな猫がいて、こうして友達ができたことを男の子にはなしました。
「ぬいぐるみが魔法でこの猫になったんじゃないかっておもうの」女の子はいいました。
「そっか、この猫は魔法でいきてるんだ」男の子はわらっていいました。
そんなふたりと猫のたのしい日々はずっとつづくはずでした。
ところが、ある日とつぜん猫がどこにもいなくなってしまったのです。


749 名前:私の魔法猫 投稿日:03/07/31 21:25 ID:???
榊は散歩をしていた。特に目的地があったわけではない。
内向的な性格で、趣味を分かち合う友達のいない榊には自室でぬいぐるみと戯れるか、こうして散歩でもして
好きな猫に出会うことを期待するしかなかった。
しかし、期待どおりに猫に遭遇しても、その猫は榊を避けるか噛むかしかしない。
結局榊は孤独なままだった。
榊自身は自分が普通の女の子で、普通に友達がいて、普通に楽しい生活を望んでいた。
しかし、女子の中では明らかに浮いて見える長身、流れる黒髪、凛とした顔立ち、寡黙な性格が醸し出す雰囲気は
他人からは榊を実年齢――榊は中学三年生である――以上に大人に見せていた。
それが榊にとっては障害だった。大人だと思われてるから自分が猫好きであることや、ぬいぐるみ集めが趣味である
ことを人に言えなかった。言ってしまえばいいのだろうが、似合わないと思われたらどうしよう、変な人だと
思われたらどうしよう、という恐れが榊を躊躇わせ、結局榊は行動に移せなかった。
榊はいつのまにか人が作り出した『自分らしさ』のイメージに縛られ、そのイメージの通りの人間になってしまった。
人の思い込みは人を変えうる。榊にはそれが悪い作用を及ぼしてしまった。
高校受験を間近に控えた2月のある休日、空には雲ひとつなく、陽気がわずかに暖かさを与えていてこの季節にしては
暖かい日だったが、まだまだ春は遠く、そのせいなのか、単に確率だろうか、まだ一匹も猫には出会わなかった。
ショッピングに行ってみよう。いいネコグッズがあるかもしれない。
そう思い立って進路を変えようとしたそのとき、この日初めて猫に出くわした。


750 名前:私の魔法猫 投稿日:03/07/31 21:26 ID:???
見た目に特別な猫だったわけではない。今までに会ったことがあるかどうか、
その見分けもつかない普通の猫だった。
普通に道を歩いていて、普通に出会った。ただそれだけだった。
榊は猫の前に座りこみ、その頭を撫でようと手を差し出して――噛まれた。
榊は痛みに顔をしかめたが、それもいつものことだった。
「こら、人を噛んじゃだめだろ!」
突然、そんな叫び声とともに猫の口は榊の手から離れていった。
「ごめんなさい、大丈夫ですか?」
声の主は幼い顔立ちの少年だった。年の頃は12、3歳といったところか。
そう言って少年は猫が再度噛まないように抱きかかえながら、榊の手を見つめた。
どうやらこの少年が猫の飼い主らしい。そう思った榊は猫への気遣いも含めて
「うん……大丈夫」、と返事をした。
「うちにおいでよ、近くだから。その傷、手当てしなくちゃ」
榊は少しためらった後、首を縦に振って少年についていった。
これはいつものことではなかった。


751 名前:私の魔法猫 投稿日:03/07/31 21:26 ID:???
それから少年の家――と言っても正確にはアパートの一室だったが――で榊は簡単な手当てを受けた。
「……ありがとう」
人の好意を受けた経験が少ない榊は素直に礼を言った。
「ねえ、傷いっぱいあるけどどうしたの?」
「……よく噛まれるんだ」
「大変だね。このへんってノラ猫多いから猫が嫌いな人には辛いでしょ」
「いや、猫は好きだよ」
「……え、どうして?」
「……どうしてかな……多分……」
榊は、自分が猫好きである理由を話した。
それは、童話だった。幼いころ読んだ童話。友達のいない孤独な女の子が大事にしていた猫のぬいぐるみに
『友達がほしい』という願いを託す。そのぬいぐるみをなくしてしまうが、かわりにそのぬいぐるみに
そっくりな猫とその面倒をみていた男の子に出会い、仲良くなっていく。ところが、ある日その猫は突然
いなくなってしまう――
「それで?」と、少年は続きを促した。
「……覚えてないんだ。続きを思い出せなくて家の押入れを探っていたらその本が出てきたんだけど、
 そこから続きのページがちぎれててなかった」
「そのせいで覚えてないんだ」
少年は榊の言葉を補足した。
「私には友達がいないんだ。だから、その童話みたいに友達がほしくて、話の続きを知りたくて、それで
猫やぬいぐるみに興味を持ったのかもしれない」
しかし私は猫に嫌われている――それは私には友達をつくる資格がないということだろうか?
そんな暗い悩みを少年に伝えるわけにはいかなかったが、今まで誰にも打ち明けなかった自分の本心を
会ったばかりの少年に喋ってしまったのは、その物語の登場人物を重ね合わせてしまったからかもしれない。
この少年についていけば何かあるんじゃないかと期待して。
さすがにそれは本人の目の前では言えなかったが。
「じゃあさ、コイツと一緒に遊ぼうよ。さっきは噛んじゃったけど、普段は大人しいやつだから」
「……うん」
榊は控えめな笑顔で答えた。


752 名前:私の魔法猫 投稿日:03/07/31 21:27 ID:???
それからの時間は楽しいものだった。猫は榊に懐かなかったが、飼い主の少年が仲介することで
なんとか猫と接することができた。
少年が押さえつけて、その間に撫でようとしたが、必死の抵抗にあって諦めた。
それが榊には悲しかったが、表情には出さないでおいた。
榊には慣れていない談笑をすることもあった。少年の身の上話を聞いたりもした。
今までに何度か転校を繰り返し、ずっと一緒にいる友達はこの猫だけらしい。
だが、転校の度にできた友達はみんないい人だし、今でも大切な人だと笑顔で話した。
満足に友達と呼べる相手すらいない榊はそんな少年に憧憬し、尊敬した。
榊にとっては人と接する経験自体少なく、人と近くにいることが苦手だったが、
今こうしていることが楽しいのだと自覚することはできた。
だから榊は、さきほど童話のあらすじを説明したときに使わなかった台詞を言ってみた。
「ねえ、魔法ってあると思う?」
児童書なのに『魔法』という言葉を漢字で書いてあったので、この台詞が妙に印象に残っていた。
「……ないよ。魔法なんてない」
少年は沈痛な面持ちで、あっさりと断言した。
「……そう」
榊には返す言葉がなかった。


753 名前:私の魔法猫 投稿日:03/07/31 21:28 ID:???
それから会話が続かなくなり、さほど時間が経たないうちに榊は家に帰ることにした。
(また私はこんなことを繰り返して……)
榊は後悔していた。せっかく仲が良くなりそうだったのに、ちょっとした一言で壁を作ってしまう。
今までに何度か人と親しくなるきっかけはあったはずだが、その度に失敗してきた。
今回は正しくは榊のせいではなかったが、何度か繰り返した失敗が頭をよぎって、榊を暗い気分にした。
しかし――
「また明日、会おうね」
少年がすまなそうな表情でかけてくれた言葉が嬉しかった。

翌日、この日も休日だったので、榊は少年の家に向かうことにした。
その途中、昨日榊と猫が出会った地点のあたりで、今度は少年と会った。
ただし今日は猫はおらず、少年はその年齢には似合わない悲壮感を漂わせていた。
どうしたの、と榊が尋ねるより先に少年が口を開いた。
「アイツ、昨日死んだよ。君が帰ったすぐ後に。安らかな死に顔だった」
少年は出来る限り感情を込めないように言った。その声は冷酷にすら聞こえた。
「癌だったんだ。もう誰にも手の施しようがなかった」
あまりにもあっさり言ってのけたので、榊はどう受け止めていいかわからなかった。
「だから言ったじゃないか……魔法なんか、ないって……魔法が、あれば……」
少年はだんだん涙声になり、最後まで言葉を紡ぐことができなかった。


754 名前:私の魔法猫 投稿日:03/07/31 21:29 ID:???
しばらくして涙を拭き取って自制をとりもどした少年は自分の猫のことを語った。
「末期だったから、ほとんど動くこともなかったのにさ、昨日急に家を飛び出したと思ったら君に噛み付いていたんだ。
 君と一緒にいれば元気になれるかもしれないって思って僕の家に呼んだんだ。アイツはいつ死んでもおかしくない
 状態だったけど、また明日って言ってみた。そうすれば、本当に明日君と会えるかもしれない、嘘が本当になるかも
しれないって思った。結局ダメだったけど……」
そう言う少年の声は少しづつ感情を取り戻していった。
「でも昨日、魔法なんかないって言ったせいかもしれないって思うと……」
少年の感情は再び抑えきれないところまで湧き上がってきた。その感情は榊にも伝染した。
「ごめんなさい、私のせいで……」
私があの猫に無理をさせたせいで、私が帰ったせいで……猫の異常に全く気付いてやれなかった……
榊は少年以上の涙声で自分の気持ちを伝えた。涙もろい性格は実際には感情豊かな『榊らしさ』の一面だった。
「……君のせいじゃないよ。アイツは最期に君に会えてよかったと思う」
そう言われても、心はすぐに晴れるものではなかった。


755 名前:私の魔法猫 投稿日:03/07/31 21:29 ID:???
たった一日だけ、それもたいして心が通ったわけではなかった猫の死。しかし、それは人との深いつきあいがなく、
深い親しみを知らなかった榊には辛い出来事だった。
これがもし人だったら、喜びも悲しみも全て分かち合える人との永遠の別れだったらどれほど辛く、悲しいだろう。
それを考えると孤独の方が楽なのではないか――
「でも、ダメなんだ。そんなふうに考えちゃ」
少年は榊の心を読んだかのように告げてきた。
「君の考えてることは大体わかる。僕は今まで転校を繰り返してきて、何度も友達との別れを経験した。
 でも会わなければよかったなんて思っちゃいけないんだ。それは人との壁を作ってしまう」
その年齢に似合わないほど達観した意見だった。この少年は榊よりもずっと大人だった。
「僕はもうすぐまた転校する。でもここでも友達はできたし、みんなに会えてよかったって思ってるよ」
少年は顔を赤くして続けた。
「それと……君にも会えてよかったって思ってる」
少年が顔を赤らめた意味は榊には通じなかったようで、彼女の表情には変化がなかった。

榊は帰り際、強い意志をもった表情で少年に告げた。
「……私は獣医になろうと思う。……わかってる、私が獣医でもあの子はどうにもならなかった。でも……」
「……がんばってね」
榊の言葉を遮って少年は簡潔に答えた。
今度は少年の方から榊に告げた。
「あの童話の続き……気になるなら自分で書いちゃえばいいと思う。二人はあの猫とはもう会えないかもしれない。
でも、自分の好きなように書いちゃえばいいんだ」
「……うん、やってみる」
二人はそこで別れ、もう会うことはなかった。


756 名前:私の魔法猫 投稿日:03/07/31 21:30 ID:???
それから榊は第一志望の高校を受けるための勉強に励んだ。第一志望はすでに決まっていた。
元女子高で、学力は榊に相応しく、獣医学部を目指すにも充分なレベルの高校である。
家からたいした距離はなく、校風が自由なため、その長髪も認められる。
まさに榊のために用意されたかのような学校だった。
試験でも榊は実力を充分に発揮し、学力からすれば当然のことだったが、第一志望の高校に合格した。
当面の問題が片付いた榊は、童話の続きを書いてみることにした。


757 名前:私の魔法猫 投稿日:03/07/31 21:31 ID:???
ふたりはてわけして猫をさがしましたが、さがしてもさがしてもみつかりませんでした。
その日はあきらめていえにかえることにしました。
ところが、女の子がへやにかえってびっくりしました。なくしたはずのぬいぐるみがあったのです。
つぎの日、女の子はぬいぐるみをもって男の子にあいにいきました。
「へえ、ほんとうにそっくりだなあ」男の子はぬいぐるみをみながらいいました。
「でも、なんでなくしちゃったぬいぐるみがみつかったんだろう」
女の子がきくと、男の子はこたえました。
「たぶん、あのぬいぐるみは魔法を使ったんだよ。それで猫にへんしんしたんだ。
 でも、魔法のききめがきれちゃって、またぬいぐるみにもどったんだ」
「わたし、いつもこのぬいぐるみにおねがいしてたの。友達がほしいって。
 この子はわたしのために魔法をつかってくれたのかな。でも、魔法がきれちゃったのならわたしたちは……」
「ううん、それはちがう。魔法がきれちゃっても、ぼくたちはずっと友達だよ。
魔法がぼくたちを友達にしてくれたんだ」
「うん!」女の子はえがおでうなずきました。
それからまいにち、女の子と男の子はなかよくあそんでいきました。
魔法はきれてしまったけれど、魔法がつくってくれた友達はいつまでもいっしょでした。


本当のところ、この話が最後どうなったかはわからない。女の子は二度と男の子に会えなかったのかもしれない。
魔法なんて存在しない。現実は残酷かもしれない。でも、だからこそハッピーエンドを願う。
榊は考えた。どうして私には友達がいないのだろう。
それはきっと、魔法がかかっていないから。ちゃんと心の底から願っていなかったから。
榊は自分で書いた童話とは違う結論を出した。――きっと、この女の子の願いが魔法を実現させたのだと。
今度こそ、私は変わろうとしなきゃいけない。そうしなければ、きっと魔法はいつまでたっても実現しない。
榊は静かに決意した。


758 名前:私の魔法猫 投稿日:03/07/31 21:32 ID:???
春を迎え、榊の新しい生活が始まった。満開の桜が並ぶ道を歩く。爽やかな青空と鮮やかな桜の花は
見る者の心を豊かにし、未来への期待を膨れ上がらせた。
榊がここで願うこと。それはずっと昔から願い続けてきたこと。
友達がほしいという願い。それを叶えてくれた猫。ひとりぼっちをやめさせてくれる魔法。
人と人の心を繋ぐ魔法猫――ここでは会えるかな。会えるといいな。

入学から数日後、榊が相変わらず窓の外を眺めていると、その日のホームルーム、
担任の女教師と高校生には見えないがこの高校の制服を着た小さな女の子が並んで立っていた。
「はい、転入生を紹介しまーす」
教室に女教師の陽気な声が響き渡った。


この学校は後に榊にとって心通わせる生涯の親友ができた思い出の場所となる。
まさに、ここは榊のために用意されたかのような学校だった。

―終わり―