335 名前:R.F. ◆uekdll3sCM 投稿日:03/04/05 23:35 ID:???
★成人式-1

冬のさなかに僅かな温かみを与えてくれた日も落ち、またたく星が夜空を覆いつつある中、
少々騒がし目の集団が街中を歩いていた。

彼女らはかつて同じ高校で青春のひとときを過ごし、高校を卒業してからもそれぞれに
「親友」として意志の疎通をしていた。ある者は手紙を交わし、ある者は電子メールを送りあい、
ある者は直接家まで遊びにいき……。
同じ大学に通う者同士なら、それこそ小学校からの旧友であるかのような付き合いをしていた。
そして今日は成人式。事前に何らかの待ち合わせをしていたわけではないが、
どこかしら律儀なところがある(本人に律儀さは無くとも「律儀な親友」に引っ張られた者もいた)
彼女たちは、それぞれの思惑で式に参加。
同じ地域に住んでいる以上、立席パーティー方式における会場で、
彼女たちがばったりと出会うのも不思議なことではなかった。
積もる話もあるだろう、こんなところでの話というのも何だから、ということで
彼女らの中で一人暮らしをしている者の部屋で、やっと大っぴらに飲めるようになった
お酒でも交わしながら、話の続きをすることになった。

「あーあ、疲れたぁ」
手土産の缶ビールが入った袋を肩越しに背負い、智がため息をつく。
ビールの重たさで疲れたのではなく、成人式にありがちな「お偉方」の「有り難いお言葉」を
黙って聴いているのに疲れたようだ。
「でも智、よく黙って話聞いてられたな?」
旧知の共でなければ出来ないような絶妙なタイミングで、暦が智に言葉を返す。
別々の大学に入ってから会う機会は減ったかもしれないが、
二人の関係は高校の時と少しも変わっていないようだ、少なくとも他の者からはそう見えた。
「もっちのろんよー、智ちゃんもう大人だもん!」
「大人は自分のことを『ちゃん』付けでは呼ばんぞ……」


336 名前:R.F. ◆uekdll3sCM 投稿日:03/04/05 23:36 ID:???
★成人式-2

「お前ら、相変わらずだなー」
智と同じくらいの小柄な背丈、それでいて智よりはるかにスタイルがよさげに見える神楽が、
高校の時とかわらない、雑にとかされた髪に手をやり頭をかきながら多少ため息をつき、
独り言のようにつぶやく。
ただ、その独り言は呆れかえっているというよりは、
多少なりとも二人の「相変わらずさ」を羨ましさを含んでいるかのようでもあった。

「あたしは高校の時からずいぶんしっかりしてきたでー」
大阪弁のおっとりとした女性、大阪が、神楽の後ろから顔を出し、自分のことをアピールした。
「でも大阪、いつも忘れものしてるのは変わらないじゃん。前なんかさぁ……」
「智ちゃん、それ、内緒やねん!」
智に突っ込まれた大阪が慌てて智の口を塞ぐさまを見て、神楽も暦もくすくすと笑った。

「(みんな少しも変わってないな……)」
自分が一人暮らしをしている下宿先まで皆を先導するため集団の一番前を歩いていた、
一番背の高い長髪の女性、榊。
彼女は皆の様子をうかがい話を聞き、それでもそれを表情にはほとんど出さず、
表向きは黙々と(でも少しだけほほ笑みながら)下宿先に向かっていた。

別にぶっきらぼうとか性格が悪い、とかいうのではない。
榊は単に、自分の「思い」を開けっぴろげに表現するのが苦手なだけだった。
だからこそ感性のみで行動している、行動出来る(ように見える)智や神楽のことが
密かに羨ましく思えることもあったし、
自分のこういう性格を理解してくれた上で色々気を使ってくれる暦のことが嬉しくも思えたし、
何の気兼ねも無く接してくれる大阪のことが喜ばしくもあったし、
今この場には居ないが自分のことを本当のお姉さんのように思って慕ってくれたちよのことが
愛らしくてたまらなかった。

337 名前:R.F. ◆uekdll3sCM 投稿日:03/04/05 23:38 ID:???
★成人式-3

榊の部屋は女性の一人暮らしの部屋にしては意外とシンプルな内装だった。
いや、ある意味、機能的だといえるかもしれない。
全面鏡や化粧棚など女性に必要不可欠なものはもちろんすべて用意されているが、
他には普通よりちょっと多いくらいの縫いぐるみがあるだけ。
代わりに部屋の中で自己主張している大きめの本棚には、動物の生態や獣医関係の本が
ぎっしりと収められており、榊の勉強の熱心さを静かに語りかけているようでもあった。
そして机の上には卒業記念に母親が買ってくれたノートパソコンが鎮座ましましていた。
すでに数年経ってはいるが、榊が大切に使っているせいもあり、見た目は新品同様だった。

「マヤー、ちょっと待っててね」
部屋の主が帰ってきたことで喜びいさんで飛びついてきた
虎縞の雑種の猫(ということになっている。今日来たメンバーはその正体を知ってはいるが)
マヤーを一度抱きかかえて部屋のスミに移らせた榊は
小さな折りたたみ式のテーブルを押し入れから出し、部屋の中央に置いた。
「座布団が無くて申し訳無いけど……」
「そんなの気にしない気にしない! 榊ちゃん気にしすぎ」
まるで自分の家に上がり込むかのようにずかずかと榊の部屋に入ってきた智は、
榊の気遣いを笑ってあしらい、多少荒っぽく自分の持ってきた缶ビールをテーブルの上に置いた。
「榊の部屋初めて見るけど、結構きれいに整理整頓されてるんだな……」
暦が関心げに部屋を見渡しながらため息をつく。
「ほら智、よく見とけよ。本当の『大人』の部屋ってのはこうやってキレイにするもんだぞ」
「私の部屋だってキレイじゃん」
「そうか?」
マシンガントークのように繰り広げられていた暦と智の掛け合いに、大阪が割って入る。
「でも智ちゃんの部屋の本棚って本が無茶苦茶に入ってるやん? こんなにきれいやないで」

338 名前:R.F. ◆uekdll3sCM 投稿日:03/04/05 23:39 ID:???
★成人式-4

「大阪、黙ってろ!」
ばしっばしっ。
智の右腕は瞬時にチョップマシンとなり、0.5秒の反応スピードで大阪の頭を連打する。
大阪はいつものように「痛いな〜、智ちゃん」と言いながら自分の頭をさすり、
智の乱暴さを(半ばいつものじゃれあいのように)非難する。

「お前ら遊んでないで、榊を手伝えよなぁ〜」
神楽の半ば間延びした、呆れかえったような口調での注意をきっかけとして、
宴会の準備は進められていった。
テーブルの上には缶ビールや各種おツマミ、コップ、氷、梅酒(大阪が希望した)、
炭酸飲料、布巾などが用意された。
皆はテーブルを囲むようにそれぞれ座り、まずは乾杯と相成った。

「んー、まずは智ちゃんの健康に乾杯!」
智の相変わらずのボケ具合に暦が瞬時にツッコミ、大阪がマイペースで応じる。
「違うだろ! 無事に成人式を迎えられたことに乾杯だろうが!」
「ともかく乾杯やー」
無茶苦茶な乾杯の音頭にすくりとほほ笑みながら、榊や神楽も乾杯に参加する。
後はもう、お酒の勢いに任せるがままの雑談会みたいな形になった。
何せ中には卒業してからあまり交流の無かった者もいる。
色々と話を聞いてみたいのは、表向き好奇心旺盛な智や大阪はもちろん、実は榊も同じだった。


339 名前:R.F. ◆uekdll3sCM 投稿日:03/04/05 23:40 ID:???
★成人式-5

テーブルの上のお酒が消費されるにつれ、彼女らの話は盛り上がり、
それぞれの昔話で話がはずんでいった。
同じ大学に進んだ智と大阪は高校時代の「ボンクラーズ」の名に恥無い(?)
大学生活を過ごしている。
大阪は高校三年生の時の、ちよの助言がいまだに気になっているようで、
先生を目指すかもしれないという。まずは教師課程を採り、じっくり考えるとのこと。
「中学生とか高校生相手は難しいからな〜。幼稚園の先生とかええかもしれん。
ドモホルンリンクルを見る人のように、園児達をじっくり見ているんや。
ちよちゃんも言うてたしな。でも私のことやからよう寝てしまうんやろな」
「だめじゃん、それじゃ」
大阪のボケに突っ込みを入れた智は、自分の夢を語りだした。
「私はやっぱりICPO。そのためにはまず、婦人警官にならなきゃ!」
「お、マジか、智」
「あったり前よ、神楽」
高校三年生の時に半ば冗談で聞いていたことを本当に実践しようとしている智の言葉を聞き、
びっくりしている神楽がそこにあった。
体育祭の時の婦人警官のコスプレも、あこがれていたからこそ用意出来たのかもしれないな、
と、ふっと昔のことを思い出す。
「婦人警官のともちゃんだ! よみー、逮捕するー」
「なんでだよ」
ボケる智と突っ込む暦。いつもの二人のじゃれあいが始まっていた。

340 名前:R.F. ◆uekdll3sCM 投稿日:03/04/05 23:42 ID:???
★成人式-6

「私は……大学でもずっと水泳を続けてる。でもやっぱり大学はレベルが高いな。
高校の時みたいにいつも一番ってわけにはいかないや」
「へぇ、あの神楽が?」
恥ずかしそうにはにかむ神楽に、智が多少驚き、その顔を見つめる。
「な、なんだよ。仕方無いだろ。でも勉強に比べたらずいぶん上の順位なんだぜ」
「へっへー、その胸を使ったお色気攻撃で教授からいい点もらうってのは
ダメなんですかー?」
「む、胸はどうでもいいだろ!」
顔を真っ赤にして慌てて胸を隠す神楽。
智の言葉には、二十歳になっても「それなり」でしかない自分の胸と、
ますます立派になった神楽の胸を比較してのやっかみがあったのも事実だ。
「……神楽は確か、体育の教師になりたいんだよな」
話の続きをうながすかのように、榊が神楽に問いかける。
神楽は榊の下宿先に月に一度は遊びに来て、色々と語り合う時間を設けている。
その中で神楽はすでに榊に
「大学受験の時に話したように、やっぱり将来は体育の先生になろうかなと思っている」
と話していた。
榊の言葉は、胸のことをとやかく言われるのをあまり好まない神楽ヘの助け舟の意味合いもあった。
「うん。一番にはなれないけど、水泳は自慢出来る、ほこりを持てるだけのものを
持っていると思ってるから。なにより泳いでいる時が一番気持ちいいしな。
黒沢先生を目指すのがいいかもしれない、なんてね」
神楽が照れで多少顔を赤らめながら語る。

341 名前:R.F. ◆uekdll3sCM 投稿日:03/04/05 23:45 ID:???
★成人式-7

「よみは?」
智が手元にあった雑誌を丸めてマイクのようにし、暦の前に突き出しながらいった。
智には、何度か同じ質問をしてもたぶらかされたり話題をそらされたりして
一向に答えてくれなかった暦に、今日こそこの質問に答えてほしいという思いもあった。
「わ、私は……」
暦は智の言葉に少しだけ迷ったそぶりを見せる。
彼女は確かにその生真面目さゆえに、大学の課程をそつなくこなしている。
が、逆に目の前の「なさねばならぬこと」を片付けるのに精一杯で、
これといった目標が見つからず、逆に悩んでいた。

暦は少しだけ残っていた自分の缶ビールを一気に飲み干し、かはーっと酒臭い息を吐いたあと、
ぼそりと語りだした。
「私、何を目指せばいいんだろう……みんな何かを目標にしてるのに……」

親友が意外に真面目になっているのを見て、雰囲気が重くなるのを直感した智は、
切り返しをはかった。
彼女は暦の背中を先ほどマイク代わりにした雑誌でばんばんと、
大きく音が出るような形で叩きながら言う。
「何真面目に悩んでるんだよ。大学にいる間に考えればいいじゃん」
「他人事だと思って……」
「それじゃあ……そうだ、ちよちゃんが日本に戻ってきたら、ちよちゃんが作る会社を
手伝ってあげたら?」
智の何気ない言葉に、親友としての気遣いを感じつつ、暦は大人びた顔付きで答えた。
「……それもいいかもな」
だが智は動じない。ぷっ、と吹き出したあと
「なーんだ、よみ、私、冗談でいったのに。あんまり悩んでいるとまた太るぞ」

342 名前:R.F. ◆uekdll3sCM 投稿日:03/04/05 23:47 ID:???
★成人式-8

智と暦がギャーギャーと声を荒げながらじゃれあっている間、大阪が榊に問いかけた。
「榊ちゃんは何になるん? ここの本棚見ると分かるような気もするけどなー」
榊は自分の膝元でくつろいでいるマヤーをなでながら答えた。
「私は……やっぱり獣医になる夢は変わらない」
「でも、獣医となるとやっぱり色々大変だろ? ほら、その、手術とか……」
神楽はこれまでの榊との対話でも、遠慮して聞いてこなかったことを口に出した。
自分が黙っていてもこんな場では大阪か、あるいは智が聞いてしまうに違い無い。
ならば自分が、出来るだけ榊が傷つかないように聞かねば、と気を効かせたつもりだった。
神楽の質問は確かに榊にとってあまり思い起こしたくない部分をも含めたものだったようだ。

一瞬、きゅっと唇をかんだ榊は、しかしながら固い決心をしたかのような表情で
大阪と神楽の質問に答えた。
「動物の解剖の授業とか辛いこともいっぱいあったけど、
それでもひとつでも多くの動物の命を救えるのなら、自分のつらいことなんてなんでもない。
動物と接していくには、良いことも悪いことも、すべてひっくるめて好きにならなきゃいけないんだ」
榊の、りん、とした表情と言葉に、大阪も榊も、
そしてさきほどまで言葉のキャッチボールを続けていた智も暦もいつのまにか聞きいっていた。
「榊……ずいぶん変わったな」
智から取りあげた雑誌を丸めていた暦が、その雑誌を思わず床に落としながら言った。
「……そう、かな」
榊の、ちょっと恥ずかしげにした反応に、智が続ける。
「ちよちゃんが見たらびっくりするかもな」
「……そう、かな?」
榊の今度の言葉は、少々困惑の意味が含まれていた。


344 名前:R.F. ◆uekdll3sCM 投稿日:03/04/05 23:48 ID:???
★成人式-9

「ちよちゃんといえば、この場にちよちゃんがいないのがちょっと残念だよな」
智のちょっと悲しげな表情で吐いた科白に、榊は自分の勉強机の上にあった
ノートパソコンをテーブルに移し、智に一番見える形でおいた。
内部電源でマシンを立ちあげ、ポストペットを起動する。

「ちよちゃんとはメールで色々お話してる。時々だけどビデオメールも送られて来るんだ」
ポストペットのピンクのフォルダーに収められている、
ちよから送られてくるメールをいくつか見せた後、
「メールの動画」と書かれてあるフォルダーまでマウスを慣れた手つきで動かして、
あるアイコンをクリックする。日付は先週末になっていた。
ほどなくして画面上にはアメリカに留学しているちよの姿が動画で映し出された。

「おー、ちよちゃん、パソコンの中に入ってるで」
大阪が相変わらずボケたが、皆はそれにツッコミもせず、ちよの動画に魅入る。
画面の中のちよは、ペットの忠吉を横にひかえつつ、手ぶり身振りを交えて
嬉しそうにカメラに向けて話し掛けていた。
「榊さん、日本ではもうすぐ成人式ですね。私はまだまだ先のことですけど、
 皆のステキな和服姿、見たいなあ。夏祭りの時よりずっと大人っぽく見えるんでしょうね。
 そうだ! 今度の夏休みも日本に帰りますので、また別荘にみんなで行きましょう!
 その時に成人式の写真、見せてください! 
 えとえと、それと、アメリカでは今、こんなのが流行ってるんですよ……」

容量の関係で動画は数分で終わってしまった。
相変わらずな口調でしゃべるちよの姿に、暦は思わずため息をつき、
「ちよちゃん……相変わらずだな……。でも元気そうでよかった」
とひとりごちた。

345 名前:R.F. ◆uekdll3sCM 投稿日:03/04/05 23:51 ID:???
★成人式-10

動画が終わり皆の注意はノートパソコンから離れたが、智はデスクトップ上にある
可愛らしげなフォルダーアイコンに気がついた。名前は「おはなし」となっている。
「榊ちゃん、これ、なに?」
智はフォルダーをクリックし、中にいくつかのテキストファイルを見つけ出す。
「あ、それ、ダメ」
「いいじゃん、いいじゃん〜」
榊が慌てて智の行動を静止しようとするが、智はすでにファイルの一つを開け、
ふんふんふんと鼻歌を歌いながら中身を読んでいた。
そのテキストファイルには、榊が自分で書いた童話が収められていた。

もちろん智の行動はマナー違反である。
が、ノリとウケを信条とし、さらに酒が入った智には、通常人のマナーなど通用しない。
智と榊がもめているのを見て暦も智を止めようとするが、智の顔がいつもの冗談顔から
少々ではあるが真面目さが出ているのに暦は驚いた。

暦が智に問いかける前に、智は視線をノートパソコンの画面から榊に移し、言葉を投げかける。
「榊ちゃん、これ、本当に榊ちゃんが書いたの? すごく上手いじゃん」
智の意外な反応に榊もびっくりし、恥ずかしそうに顔を赤らめながら
「え……そう?」
とだけ答える。
「なんていうか……言葉がうまく見つからないけど、吸い込まれるような感じで、
 心がジンってきちゃったよ」
「そ、そうか、な……」
榊はますます照れる。

様子を見ていた神楽や暦、大阪もそれぞれそのファイルに目を通し、
やはり智と同じ感想を持ったようで、それは
「榊の意外な才能を見た感じだな」
という神楽の一言に集約されていた。


349 名前:R.F. ◆uekdll3sCM 投稿日:03/04/06 07:45 ID:???
★成人式-11

榊の意外な才能を酒の肴にし、さらに酒宴は盛り上がった。
いつしかほとんどのメンバーは酔いつぶれ、智は大の字に、
大阪はやや前屈みで女の子座りのままよだれをたらし、神楽はテーブルに突っ伏して、
それぞれ寝息をかいている。マヤーもつられて寝てしまったようだ。

部屋の主の榊が、彼女ら三人に風邪を引かないよう、タオルケットや毛布をかけ、
エアコンの温度を調整しおえると、視野の端に明かりが燈るのが見えた。
その明かりはベランダにあった。

新鮮な空気を吸うのも兼ねて榊もベランダに出てみると、そこにはタバコを吸う暦の姿があった。
左手には携帯用の灰皿もある。
榊の姿に気がついた暦は「吸う?」とでもごとく一本を差し出すが、
榊は右手を軽く振り、遠慮の意を示した。
「マヤーがタバコの香りを嫌うから……」
暦がイヤな気分にならないよう、榊は自分がタバコを吸わない理由を説明した。

榊と暦、二人の女性はベランダの柵に持たれかかりながら、言葉を交わすでもなく、
ただ冬の夜空をしばらく眺めていた。
暦が一本目を吸い終わり、二本目のタバコに手をかけようとした時、榊が暦に話しかけた。
いつもは無口の榊にしては珍しく、多少なりとも積極的な様子がうかがえた。
普通なら話のネタを振ってくれる暦が、タバコを吸っているとはいえ、
あまりにも無口だったのが気になったようだ。


350 名前:R.F. ◆uekdll3sCM 投稿日:03/04/06 07:47 ID:???
★成人式-12

「……水原、さん?」
暦は、少しだけ苦笑いをしながら、榊の言葉に答えた。
「んー。なんか、他人行儀でくすぐったいなぁ。『よみ』でいいよ、『よみ』で」
「……じ、じゃあ、よみ、さん……?」
榊が敬称に丁寧語をつけたのと、いつも智からは「よみ、よみ」と呼ばれていたからか、
多少の違和感を感じた暦ではあった。
が、こういう対応こそが榊らしいんだよな、と自分で納得し、くすりとほほ笑みながら
「まぁ、いいか」
とひとりごち、暦は二本目のタバコに火をつけた。

「よみ……さんって、お酒結構、強いの? みんな酔いつぶれちゃったのに……」
部屋の主人が酔いつぶれるわけにはいかないという気持ちでセーブしていた自分はともかく、
暦が多少顔を赤らめていたとはいえ、まったく酔いつぶれる気配がないのに感心していた榊は、
暦にさり気なく質問した。
「いつも智を見てなきゃならないからな。大阪はあんまりあてにならないし。
 お酒も自然にセーブするクセがついちゃったみたいなんだ」
「ふぅん……私も神楽が時々つぶれることがあるから……」

暦には智、榊には神楽。
高校時代から今までずっと付き合いを続けている互いの親友のことを気遣い、
世話をするために自分を抑えねばならない互いの境遇に気づく二人。
暦は智の、榊は神楽にどんな気配りをしているかを話した(やはり榊は言葉少なげではあったが)。


351 名前:R.F. ◆uekdll3sCM 投稿日:03/04/06 07:50 ID:???
★成人式-13

二本目のタバコを携帯灰皿に押しこめた暦は、ふと何かに気がついたのように榊の方を振り向く。
高校から相変わらずのロングヘアーが微妙な風にふわりとなびき、
それとは対象的に赤らんだ頬を持つ、燐とした顔付きの女性の姿が神秘的な情景となって
暦の目にとまる。
男の子だったらこんな榊の姿見たら、卒倒しちゃうんだろうな、
暦はそんなことをふと思いながら、ぽんぽんとタバコの箱を叩き、三本目を取り出す。
榊は何を思っているのか、ただ夜空の星を眺めていた。

「高校の時はこうやって二人で話す機会もあんまりなかったけど……」
そこでいったん言葉を切って手元のタバコに火をつけて口に加えて一口吸いこみ、
暦は言葉を続けた。
「……正直、榊を羨ましく思ったこともある。むしろ今の方が、かな」
暦の口から出た意外な言葉に、榊は少々驚き、まず頭に浮かんだ言葉を素直に口に出した。
「羨ましい?……どうして?」

暦はふた口目を思いっきり吸い込み、はぁ、と吐き出した後、思い詰めていた思いを少しずつ、
だが確実に言葉にしていった。
「背が高いとか頭がいいとかじゃない。怒らないで聞いてくれ」
それと、私と違ってとても美人に見える、ということもかな、と暦は頭の中でだけ、
付け加えた。

暦の、いつもとは少々異なる、いつもより真面目な口調に榊もつばを飲み込み、聞き入るしかなかった。
「うん……」


352 名前:R.F. ◆uekdll3sCM 投稿日:03/04/06 07:50 ID:???
★成人式-14

「榊って何か、目標をしっかりもって、それに向けて他人の声を気にせずにひたすら走り続ける、
 そんな感じがして」
「そう……見えるのかな」
榊にはそう答えるしかなかった。他人が自分のことをどう思っているのか、
そんなことを気にして自分自身を追い詰めることは、中学の時に止めていたからだ。
正確にいえば、自分の横にいる暦をはじめとした、高校の「友達」のおかげで、
そういうネガティブな考え方をするのをやめることが出来た。

暦は続けた。
「私は……大学も本命のところに入ることは出来たけど、
将来何かになるっていうしっかりした目的を持って入ったわけじゃない。
今になって、高校の時の友達がみんな将来のビジョンをもってるのを知って、
自分だけが何も、と思うと……」
榊は何も口を挟むことは出来なかった。

暦は何かが堰を切ったかのように、次々と自分の心の奥底にたまっていた思いを言葉に表していく。
「高校の時までずっと一緒だったともと大学になってはじめて別々になった。
なんかこう、自分の人生の一部に大きな風穴が空いたようで、つかみどころがない感じなんだ。
いつも私はともに対して
『あいつには私がついていないとダメなんだ、なにもできないんだ』
と思っていたけど、本当は逆で、私こそあいつのことが生活の一部になっていて、
自分一人では何も決められないのかもしれない。
こんな自分自身のことを考えると、だめな奴なんだなって、さ……」

いつしか暦の目には涙が浮かんでいた。それ以上続かない言葉の代わりに。

353 名前:R.F. ◆uekdll3sCM 投稿日:03/04/06 07:56 ID:???
★成人式-15

「そんなことはない」
榊が暦の方を向き、(夜中だから)声こそ小さいけれど、力強い言葉で言い切った。
「え?」
榊の意外な反応に驚いた暦の言葉も気にせず、榊は続ける。
「滝野さんとずっといたいと思うのなら、水原さんも警察官になればいい」

突拍子もない、だが意外に適切な榊の言葉に、暦は一瞬頭が真っ白になる。
今までのもやもやが一挙にふっ飛ばされたような気分になった。
そしていつもの、智にツッコミを入れるような口調に戻った暦は、榊の科白に答えた。
「智と一緒かァ。どうせなら、それなら……キャリア組になるか、国家公務員一種試験、
だったっけ?」
「うん」
「……いいかもな、それ……うん。なんか、いいかも。警察でも智をばしばしと教育する、かぁ」

何かが確実にふっきれた。そんな気分になった暦は、三本目のタバコを灰皿にしまい、
榊の方を向き、その場には不釣合いなくらいに深いお辞儀をしながら言った。
「ありがと」

突然の暦の態度にびっくりした榊は、「いやいや」とばかりに両手首を振りながら
「いや……結局、決めるのは自分自身だから」
と答えた。
やっぱり榊らしいな、本当の意味で成人したかのような気分になった暦は思わず背伸びをし、
「そうだなー。自分で決めることだしなー」
と返事をする。
その科白には、酒の席や先ほどまでのような、どこか思いつめたような雰囲気は
微塵も感じられなかった。


354 名前:R.F. ◆uekdll3sCM 投稿日:03/04/06 07:57 ID:???
★成人式-16

がらり、とベランダの窓が開き、智が寝ぼけながらベランダに顔を出す。
そして相棒の姿を見つけるなり、指さしながら半ばろれつが回らない口調で言葉を発する。
「よみー、なにやってんらー? まだ飲み足りないのかー」
相棒の科白に、いつものような口調で暦は答えた。
「ばーか、これ以上飲んだら脳みそが酒漬けになるぞ。早く寝ろ」
「ふあーい」

あくびを右手で抑える智の背中を押し、部屋に誘導したあと、そそくさと暦はベランダに戻り、榊の耳元にささやいた。
「榊……」
「ん?」
「ありがと……なんだか、うん。思いきって話して、よかった」
「うん……」

榊も一度大きく背伸びして外の空気をいっぱいに吸い込み、頭上に広がる星空を眺め、
明日も晴れそうなことを確認して、静かに窓を閉めつつ部屋の中に戻った。

まだ冬の寒さが残る夜空には、多数の星たちがまたたき続けていた。
それらの星の輝きは、彼女らのこれからを祝福するかのようでもあった。

(終わり)