602 名前:R.F. ◆uekdll3sCM 投稿日:03/06/22 21:20 ID:???
■約束-1

ゴールデンウィークも終わり、本格的な夏がやってくる前の儀式ともいえる梅雨のまっただ中にしては
比較的穏やかな天候の六月のある金曜日。
図書館のそばにある、先日の雨に濡れた色とりどりの紫陽花か映える庭の椅子に腰掛け、
栄養学の基礎講座のテキストを読んでいた俺の目の前に、
時期柄としてはちょっと早いようにも見える半そでのTシャツに、
ジーンズといったボーイシックな格好をした女性が現れ、
子供が何かをねだるように右手を差し出しながら懇願してきた。
「なあ、小川教授の月一レポート、まだやってないんだ。写させて」
「……」
あまりにもの突拍子な、それでいて彼女にとってはごく当たり前の
ルーチンワークであるかのような口調での科白に、俺はあえて無視をして相手を見ず、
テキストから目を離さなかった。
目の前の女性は、俺が無視してテキストを読みすすめるのを見るや、
体を傾けてじっと俺の顔を食い入るようにして見つつ、懇願を繰り返す。
「頼むぜ、なぁ。小川教授のはお前しかあてがないんだ」
「神楽……それ、人にモノを頼むような態度じゃないぞ。
 それに、お前が頼んでるのは小川教授の講座だけじゃないだろ」


603 名前:R.F. ◆uekdll3sCM 投稿日:03/06/22 21:21 ID:???
■約束-2

彼女の名前は神楽。俺と同じ教育学部の体育科の三年生。
高校の時は二年・三年と同じクラスだったが、「結構体育全般が得意で、特に水泳で活躍する奴」
くらいにしか印象がなかった。
いや、それはちょっと語弊があるかもしれない。
二年になって他クラスから編入してきた時(噂では谷崎先生が強引に黒沢先生から奪い取ったらしい)、
はじめは、同じクラスメイトの榊と同じようにスポーツの出来る奴が来たな、くらいにしか思えなかった。

けれど……あまり手入れをしていないようなショートカットの髪型。笑う時に見せる満面の笑み。
夏の部活で日焼けしている時の肌。ざっくばらんな性格。そしてほんの時折見せるしおらしさ。
次第に、彼女に何となく心引かれていったのは事実だ。

けれど彼女らは榊や水原ら、「仲良しグループ」でいつもつるんで行動していたし、
自分も勉強で異性がどうとか考えている余裕はあまりなかった。
若さゆえの幼い考えから、なんらかの理由をこじつけて話しかけることはあった。
話しているだけで、それだけで何となく楽しかったし嬉しかったのだ。
だがそれ以上の……つまりクラスメート以上の関係ではなかったし、なりえなかった。
「余裕がないヤツ」と言われれば否定できないが、それが自分の生き方でもある、と自分を納得させていた。


604 名前:R.F. ◆uekdll3sCM 投稿日:03/06/22 21:21 ID:???
■約束-3

神楽は水泳を続けるために体育系の大学を受けると榊たちと話していたのを小耳に挟んでいたが、
まさか俺と同じ大学(すべり止め)の教育学部を受けているとまでは知らなかった。
クラスメート以上の関係でない俺が、彼女の受ける大学を知るすべなどなかったからだ。
だからこそ、俺が本命の大学に落ち、多少気落ちしながらも入学したすべり止めの大学での入学式が終わったあと、
会場の出口で俺の名前を呼ぶ正装した神楽の姿を見たときは、正直驚きもし、我が目を疑ったものだ。

彼女は彼女で俺のことをそれなりに覚えていたし、
大学内で同じ高校での知り合いが他にいなかったこともあって、何かと俺を頼りにしてきた。
もっともそれは彼氏彼女の関係などではまったくなく、
むしろ学級委員と出来の悪い一生徒、兄と弟(妹、ではなく)という関係に近い。
大学に入っても彼女はあくまでも彼女らしく、その振る舞いは高校の時と変わらなかった。
ただ、本人はどう思っているか知らないが、俺を頼りにするその姿ははたから見れば
彼氏彼女の間柄のように見えたらしく、彼女の性格ゆえに多くの同性・異性の友達が彼女に出来た後も、
彼女に「手を出す」輩が現れることは滅多になかった。


605 名前:R.F. ◆uekdll3sCM 投稿日:03/06/22 21:22 ID:???
■約束-4

また、たまに手を出そうとする者がいても、彼女自身が「撃退」していた。
それだけが俺にとっては救いであり、幸いでもあった。

実際、手を出そうとした、彼女いわくの「チャラチャラした野郎」が、
彼女の蹴りを股間に食らって撃退されたという話も、彼女との飲みの際に聞いている。
無論俺はその話を聞いた時、彼女に、男性にとって股間がいかに大切なところであるか、
その「彼」がどんなことを神楽にしたかは分からないが、
あまり酷いことをするのもいかがなものかと諭したものだ。
彼女はそういう「性的な」話には興味はあるもののやはりそれ以上に恥ずかしいようで、
顔を真っ赤にしながらうつむき、「うん……気をつけるよ」とだけ答えたものだ。
顔を赤らめたのが酒による酔いのものなのか、恥ずかしさゆえのものなのか、
それともそれ以外のものなのかは分からないが、そんな彼女の顔を見て、
たまらなくいとおしいと思ったのも事実だ。
もっとも、その時、自分自身も多少なりとも酔っていたのも確かだが。

一言でまとめると「腐れ縁」的な関係が続いていた神楽と俺だったが、三年にもなると
学科は別々になり、同じ授業を取ることも少なくなった。
俺は栄養学科を選び、神楽は体育科を選んだ。
俺は元々栄養士か、栄養学的に他の人をサポートする仕事に就きたかったし、
彼女は高校の時の部活の担当教師の名を挙げて「将来はゆかり先生みたいな体育の先生になりたいんだ」と
言っていたので、これはこれで仕方がない。
だが学科は別になっても、共通する科目はいくつかあったし、神楽は一、二年の時に「不可」をもらって
再履修している科目もあったので、彼女が俺を頼る機会は相変わらず多かった。


606 名前:R.F. ◆uekdll3sCM 投稿日:03/06/22 21:22 ID:???
■約束-5

……そんな彼女が、いつものごとく、小川教授のレポートを俺に求めていた。
じっと俺を見つめる彼女の視線からあえて自分の目をそらすと、彼女のTシャツの胸元に目が留まる。
少しかがんだ状態の彼女の胸元は、襟首の前の部分に少し大きめの空間が出来、
俺の目にはその先に浅黒い彼女の肌と、胸元の谷間がさらに強調された形で映し出された。
位置がもう少しずれれば、その先も……と、一瞬だけ見とれた後、はっとなった自分を反省して首を横に何度か振り、
「どうしたの?」という顔立ちで、さらにこちらを見つめ続ける彼女に、
(「ったく……胸のことを言われるのが嫌いだっていう一方で、
  自分の胸がどれだけ俺を誘惑してんのがわかってるんかよ……」)
と思いつつ、言葉を返した。
「今月で三つ目だぞ。それに、人にモノを頼むときの態度をもう少し勉強しろよ」
「いいから見せてよ、ケチ」
「例えばだな。『お願いします』って言えないのか?」
「……バーカ」
「お前なぁ……」
第三者から見れば、単にじゃれあっている恋人同士の会話かもしれない。
実際俺は、神楽との言葉のやりとりを楽しんでもいた。
彼女にその気はないかもしれない、いや、恐らくないだろう。
だけど、俺にとっては彼女とこうやって言葉を交わしているだけで楽しかった。
俺は彼女の馬鹿馬鹿しい反応に頭をかきながら、そんなことを思っていた。


607 名前:R.F. ◆uekdll3sCM 投稿日:03/06/22 21:22 ID:???
■約束-6

俺がなかなかレポートを貸そうとしないからか、彼女は多少声を荒げた。
「もー、ムカツク! あんたって本当っに、カワイクないな!」
ちょっと意地悪しすぎたか、と思いつつも、話の勢いには逆らえず俺も反論してしまう。
「男だから可愛くなくて当たり前だろ。俺が可愛かったら、それはそれで問題だよ。
 それよりお前こそ、『可愛い』って言われたことなどないんじゃないか?」

最後の科白を口に出したあと、しまったかな、とも思った。
神楽に寄り添おうとする、彼女いわくの「野郎」らが彼女に擦り寄るときの言葉は、
決まって胸のことで、であり、彼女自体を可愛いとは言ったことがないからだ。
(無論表面的には「可愛い」とは言う奴もいたが、目線を胸から話さずにその科白を言われたので
 むかついた、と彼女は言っていた)
神楽は高校の時から自分の胸に対してコンプレックスを持っていたようだが、
大学に入ってそれにプラスして、「女の子らしさという『可愛さ』」に引け目、というか
劣等感のようなものを持ってしまったようである。
今年の頭の成人式で、かつてのクラスメイトで神楽も含めた「仲良しグループ」の一員だった
榊や水原に声をかけられ話をした時も、神楽は大学に入ってから、
高校の時以上に男っぽい私服を着るようになったということだった。
(俺は残念ながら高校時代の神楽の私服姿を見た事がない)


608 名前:R.F. ◆uekdll3sCM 投稿日:03/06/22 21:26 ID:???
■約束-7

神楽は困ったような、怒ったような、考え込むような、一言でいうならば「返す言葉を失った」ような顔をし
しばらく黙り込んだあと、オホホホホと貴族のマダムがいうようなポーズを取って俺に反論した。
「わ、わたし、可愛いって皆にいわれるのよ? むしろあんたの目が腐れてるんじゃないの?」
売り言葉に買い言葉。俺もついムキになる。
「ほーぉ。どこのどいつが言ってんだ? シュレーダーか? 物好きもいたもんだ」
彼女は俺の駄洒落には気がつかず、『物好き』という言葉にだけ反応した。
「な、なんだと!」
神楽は俺の目をキッと見つめ、宣言するかのように俺に指をさして続けた。
「そ、それじゃ、あんたに『可愛い』って言わせたら、あんたが何でも私の言うことを聞くってのはどうよ!?」

また、子供みたいなバカなことを考えたもんだ。
彼女のそんなところに頭の中でだけほほえましさを感じながら、あきれ返った表情を彼女にかろうじて見せ、
「ああ、いいよ……まぁ、無理だと思うけどね」
とだけ答える。
神楽は俺の答えに、さらに複雑な表情を見せた後、いきなり頭を下げた。
「それはそれとして……小川教授のレポート貸して……。お、『お願いします』」
「はぁ……」
こんな素直なところが憎めないんだよなぁ。
俺は、「あらかじめ用意してあった」レポートのコピーファイルが入ったフロッピーを彼女に差し出した。


609 名前:R.F. ◆uekdll3sCM 投稿日:03/06/22 21:26 ID:???
■約束-8

いつもと違って「約束」はさせられたが、金曜日の神楽とのやりとりは半ばいつものことだったので、
その日のうちに俺自身「約束」そのものは忘れてしまっていた。
「約束」といっても、いつどこで、ということは決めてなかったし、
単なる「売り言葉に買い言葉」以上のものではないかと思っていたからだ。
土曜日、日曜日は梅雨らしく雨がまた降り、外出の機会もなく終わり、月曜日となった。

月曜は俺は授業のコマはない。神楽は確か1コマ授業があったはずだが、午前中の授業だし、
教授が先週と今週、教授会の旅行で休みのため休校のはずだった。
そんなことを思いながら、今週末までに仕上げねばならないゼミのレポートの資料を調べて
ネットにアクセスしていると、神楽からメールが届いていた。
いわく、「約束の件で、今日の夕方、井の頭公園の池の、時計のあるベンチ前まで来い」とのこと。
タイプをするのが苦手とはいえ、ざっくばらんというか乱暴というか端的な文章だな、と思いつつ、
俺は先週末の約束を思い出そうとしていた。約束って何だっけ? 
……まぁ、たいした用事でもないだろうからいいか。
レポートの資料整理を適当に切り上げ、それなりに身だしなみを整え
(「学級委員と出来の悪い一生徒」の関係とはいえ、俺だってそれくらいの配慮はする)
俺は家を後にした。


610 名前:R.F. ◆uekdll3sCM 投稿日:03/06/22 21:27 ID:???
■約束-9

井の頭公園は俺の家からも神楽の家からも、そしてかつて通っていた高校からもそう遠くはなかった。
大学に入ってからも、課題やレポートを見せる時や図書館で調べ物をする時に、待ち合わせ場所によく使っている。
神楽いわく、高校の時は「仲良しグループ」のメンバーらとここでよく遊んだそうで、
今でも結構利用するとのこと。
歩きがてらに「約束」のことを思い出そうとしたが、どうしても思い浮かばない。
なんだっけな、確かに神楽と先週末約束をしたような記憶はあるんだが……。

時間通りに井の頭公園の、いつものベンチ前のすぐそばまで来ると、ベンチに一人の女性が座っているのが見えた。
日曜日とはいえ、夕方もふけてきたせいもあり、辺りには他に誰もいない。
遠くに犬の散歩をしているおじいさんがいる程度。……神楽はまだ来ていないようだ。
あの女性、別の人が待ち合わせでもしてるのか、だとしたらちょっと邪魔かも、と思いつつ近づいてみると、
あちらはこちらを見かけるなり手を振ってきた。
あんな女性の知り合い、俺にはいないはず。それに今日はここに、神楽とのまちあわ……
……
…………
か、神楽?


611 名前:R.F. ◆uekdll3sCM 投稿日:03/06/22 21:27 ID:???
■約束-10

ベンチを離れ、手を大振りにふりながらやってくるのは、誰でもない、神楽だった。
違うのは、その見た目だった。
髪の毛はいつも
「洗髪したらちゃっちゃっとドライヤーをかけてそのままにした癖毛的な跳ね返り」
があちこちに見られる、俺いわくの「神楽カット」ではなく、丁寧にとかされた髪が
きれいにショート・ストレートを形作っている。
これだけでも別人に見えるのに、いつもは「Tシャツ・ジーンズ」という男勝りな服装だったのが、
ひざよりちょっと上までしか丈のないスカート、神楽の肌の色とは対照的な白いハイニーソ、
ひらひらの飾りがついた、それでいてあっさりとしたデザインの上着、ちょっとおしゃれな首飾り、
そして近寄ってみると、薄くではあるがルージュもしているようだった。

はたから見たら、俺は恐らく間抜けな顔をしていたに違いない。
それくらい心底、神楽の変わり映えには驚いた。
いつも見慣れている俺でも、じっと凝視するまで、その女性が神楽だとは分からなかったのだ。
しばらく言葉を失った俺に対し、後ろ出に体ごと首を少し傾け、
俺の方を見て「どうしたの?」でもいいたげな顔を神楽がするのを見て、
ようやく俺は言葉を発することが出来た。
「お、お前、神楽なのか?」


612 名前:R.F. ◆uekdll3sCM 投稿日:03/06/22 21:27 ID:???
■約束-11

神楽は俺の問いに、頷くだけで答え、さらに付け加えた。
いつもとは違う髪形を気遣ってか、自分の髪をしきりに指に絡めながら。
「……頑張って……みたんだけど。ど、どうかな? か、か、かわいく、ない?」
ここではじめて、俺は先週末に神楽とした約束を思い出した。
俺に「可愛い」と言わせたら、何でもいうこと聞いてやる。
あんな言葉のキャッチボールのような冗談を、こいつは真に受けてたのか。

……まったく、お前ってヤツは。
だが俺は、神楽同様にちょっとひねくれてもいた。自分に正直になるのが怖かったというのもある。
俺は神楽と視線を合わすことすら出来ず、恐らく顔を真っ赤にして、思わず天邪鬼に答えた。
「ま、まぁ、それなり、だな。第一、俺が言ったのは中身の『可愛さ』だから……」
「えっ……」
「中身だ、中身。見た目なんかより、心。心の中が可愛い女性こそ、本当に可愛らしい女性だと
 いえるんじゃないか? 俺はむしろお前のそのガキっぽい……」
自分をごまかすためか、わけの分からない理屈を口走っていた俺だが、
そこまで口に出したところで、神楽がうつむいているのに気がついた。
手に持っていたポーチを落とし、後ろにまわしていた手を目元にやり、
鼻を何度かすすっている。


613 名前:R.F. ◆uekdll3sCM 投稿日:03/06/22 21:27 ID:???
■約束-12

「やっぱり……ダメだね。私じゃ……。そうだよね……」
「……?」
俺の言葉が止まったのにも関わらず、神楽は独り言を続けた。
「わ、私っていつも男勝りでガキみたいな態度でがさつだし、可愛くなんかないよね……
 昔から、高校の時からそうだったんだ……だから先輩にも……」
「ちょ、ちょっと……神楽」
目に涙を浮かべる神楽を見、彼女の言葉を耳にした俺には、
ある情報が一瞬のうちによみがえってきた。
成人式の時、水原や滝野からちらりと聞いてはいたのだが、神楽は高校時代に水泳部の先輩に
振られたことがあるらしい。
その時、がさつだから、ということを遠まわしながらいわれ、彼女はそれを相当気にしていたらしいのだ。
「友達だからといっても、そのことは決して言うんじゃないぞ、気にしてるんだから」
と水原からは釘を刺されていたのだが。やっぱり気にしていたのか……。

「か、神楽?」
「……ん?」
目を真っ赤にした神楽の頭をぽんぽんと叩いて注意をこちらに向け、
俺は(恐らく)ゆでだこのように顔を赤らめ、ぎこちない科白で彼女にいった。
「あー……で、でも。み、見た目だけは、そ、それなりにか、か、可愛い、んじゃないかな」
「……本当?」
信じたいような、でもまだ疑っているような複雑な顔持ちで、神楽が俺の顔を見つめながら問いかける。
女性の涙目の上目使いをじっと正視できるほど俺は男としてデキた人間ではない。
照れ隠しの意味もあわせ、つい、顔を横にそらし、神楽の問いに「ああ」とだけ答える。
神楽はぽおっ、っと明かりが灯ったランプのような曇りのない嬉し顔をし、えへへ、嬉しいなと口に出した。
いつもの神楽らしくない、でも本当に『可愛い』顔だった。


614 名前:R.F. ◆uekdll3sCM 投稿日:03/06/22 21:30 ID:???
■約束-13

俺がじっと顔を見ているのに気づき、神楽ははっ、と気がついたかのような顔をし、
慌てた表情で俺の顔を両手でふさいだ。
「ち、違うんだよ! あ、あんたにほめられてもうれしくなんかないっ」
いきなりの張り手(彼女にしてみれば単に照れ隠しに顔を隠しただけだろうが、勢いは張り手そのものだった)と
豹変した態度に、俺は「子供の反応だな」と思う前につい手を振り払い、なんだよ、と
けんか腰に反応してしまう。お前、さっきはあんなに嬉しそうだったじゃないか。

俺の口調がきつかったからか、神楽はしゅん、とした態度で口ごもりつつ、俺に言い訳をはじめた。
泣いたり喜んだり怒ったりしゅんとしたり、喜怒哀楽が激しいというか、彼女自身も半ば
パニックに陥っているようにも見えた。
「あれは……その……だって……」
「だって、なぁに?」
うつむき加減に答える神楽に、俺は優しく続きをせかす。
「もしかしたら」という想いと、「いや、そんなはずは」という思いを自分の胸の中に抑えつつ。
「だって……今まで皆からは胸のことばかり言われてたし、私自身を可愛いだなんて言われたこと、なかったし……」
「……」
「それ以上に、その……好きな人に言われたら誰だって嬉しいじゃな……あ」
「……!」
「ち、違う……そ、その……」
「神楽、お前……」
俺が「もしかしたら」という想いに間違いはなかったと確信すると同時に、
半ばパニックに陥っていたために言わなくても良いことまで口走ってしまったのに気がついた神楽は
慌てて首を横に振り否定する。真っ赤になった顔を俺に見せないため、両手で自分の顔を隠しつつ。


615 名前:R.F. ◆uekdll3sCM 投稿日:03/06/22 21:30 ID:???
■約束-14

「違う、間違い! 違う違う! 違うったら違う!」
神楽はそれだけ言うと、地面に落としたポーチもそのままに、俺の前から走って逃げ出そうとした。
俺は思わず神楽の手をつかみ、引き止める。水泳部で体を鍛えている神楽は力も強かったが、
ここで手を離したら何かが終わってしまうような気がして、俺自身びっくりするほどの力で彼女の手をつかんでいた。
思わず体のバランスを崩す神楽。そんなことも気にせず、俺は神楽に半ば怒鳴りつけるように言った。
「ちょっと待てよ!」
「いたい、いやだ、離して!」
「頼むから、お願いだから逃げないでくれ!」
「……」

俺の気迫に負けたのか、神楽はしゅん、としてしまう。
すかさず俺は彼女の両手を自分の両手でつかみ、自分の方に向けさせる。
涙目の神楽は俺を決して見ようとはしなかったが、それでも俺は神楽に言葉を続けた。
「神楽、お前、もしかして……」
「ごめん。だって、だって私……大学に入ってからもずっと私のことをかまってくれたあんたのことを……」
「……」
「部活とかいやな野郎とかに会っても、あんたといると、それだけで嬉しいし楽しいし、
 大学にくる一番の楽しみがあんたに会って話をすることだったのに……なんか、恥ずかしくって
 つい照れ隠しで、がさつな態度ばかりとっちっゃて……。
 でもそうやってがさつさばかり見せていたから、高校の時みたいに、本当のこと話すと
 また嫌われちゃうかなって思って……」
水原が言っていた、神楽の高校時代の失恋の話は本当だったのか。


616 名前:R.F. ◆uekdll3sCM 投稿日:03/06/22 21:30 ID:???
■約束-15

そんなことを俺が思っている間にも、神楽の独白は続いていた。
「断られて高校の時みたいなことになったり、今の関係が終わっちゃうのがとても怖くて……。
 告白する勇気が無くて。でもいつかは……とは思っていたけど……でも」
そこまで話して神楽は俺の方をきっ、と見やり、涙をぼろぼろこぼしながら、さらに続ける。
「あんたが、私の気持ちに気がつかないのが悪いんだ! この外国人!!」

「……神楽」
俺は神楽の頭をぽんぽんと叩き、それは外国人じゃなくて朴念仁(ぼくねんじん)だろう、という
突っ込みをした後で、彼女の肩を押さえ、じっと彼女の目を見つめて、答える。
「その言葉……そのままお前に返すよ」
「……どういうことだよ……って、え?」
ぽかん、とした神楽の顔が目の前に映る。


617 名前:R.F. ◆uekdll3sCM 投稿日:03/06/22 21:31 ID:???
■約束-16

こんなに長時間、彼女の顔を見つめていたのは初めてだ。
俺自身も半ば、彼女と同じくパニックに陥ってるのかもしれない。ええい、もうどうでもいい。
「神楽だって、俺の気持ちに……気がついてなかったじゃないか」
「あんたの気持ち?」
「ずっと前から……多分、高校の時から……可愛いな、好きだって思ってたんだ」
「そんな……だっていつもあんながさつな態度であんたに……」
それ以上彼女に言葉を続けさせる前に、俺は目の前の彼女をぎゅっ、と抱きしめる。

彼女の頭が自分の胸あたりに位置し、そのまま俺は彼女の耳にささやくように続けた。
「ざっくばらんなところとか、いつも明るいところとか、神楽のそういうところも」
「でも……ええと、私、その、……」
神楽はそこまで言葉にし、あとはぼろぼろと涙を流し続けるだけだった。
嗚咽の振動が俺の胸にも伝わってくる。恐らく俺のシャツの胸の部分は神楽の涙でぐしょぐしょだろう。

永遠とも思えるその時間がしばらく続き、神楽はようやく続きを俺に話しだした。
「あんたも私とおんなじだったなんて、嬉しくて、これまでがなんか馬鹿馬鹿しくて……
 もっと早く……」
俺はもう、神楽の言葉を聞いていられなくなった。
もうしゃべらなくてもいいよ、といわんばかりに彼女の唇を自分の人差し指でふさぎ、
彼女の頭を自分の顔に向けさせた。
神楽も何をしようとしているか分かったらしく、ん……とだけ言うと目を閉じた。
俺も目を閉じ、神楽の唇を自分の唇でふさいだ。神楽との初めてのキスは、涙の味がした。
「神楽、好きだよ」
「私も……」
今の俺らには、これ以上の言葉はいらなかった。
気がつくと周りはすでに日が暮れ、公園のランプが灯りだしていた。


618 名前:R.F. ◆uekdll3sCM 投稿日:03/06/22 21:31 ID:???
■約束-17

「そういやさ……」
落として水に浸かってしまったポーチの代わりを買うために、
今週末一緒に買い物に行く約束をした後、駅まで一緒に帰る途中で、俺は神楽に聞いてみた。
「『可愛い』って俺が言ったら、何でも言うこと聞くって約束だったよな。
 いったい、何をさせる気なんだ?」
神楽はにっこりと微笑み、
「もう……してもらったから、いいや。うん」
とだけ答えた。俺、何かしただろうか? 新しいポーチを買う約束はしたけど……。
「何かした、俺?」
神楽はスキップしながら俺に飛びつき、腕を組みつつ答える。
「えへへー。ひ・み・つ。モノを頼む態度じゃないぞー」
にこにこしている彼女の顔を見ていると、もうどうでもよくなった、そんな気がした。

(終わり)