- 756 名前:R.F. ◆uekdll3sCM 投稿日:02/12/01
23:01 ID:???
- ■ぬいぐるみ−1
その縫いぐるみを拾ったのは、ある春の日曜、晴れた昼下がりだった。
いや、縫いぐるみといえるものだったのかどうかは未だに分からない。
ともかくその、細長い小判というか草履のような、縫いぐるみのような素材の不思議な物体は、
地面に落ちた拍子でからか多少汚れてはいたが、大事に扱われていたことだけは間違いない。
傷ついたり、破れているところもないので、捨てられたのとは違うようだ。
今流行りの、キモ可愛い何か新しいキャラクターを模したものなのか、
それとも何かの抽象的な美術作品なのか。
頭に「?」マークをいくつも浮かべ、頭の中の知識を総動員し、自分の手の中にある物体が
いったいなんであるのかその解答を得る前に、視界のスミに映るあるものに気がついた。
左手前の家の二階のベランダに、一面の縫いぐるみが並べられている。
出来るだけ多くの日光に当てられるための配慮からだろうか、手前の縫いぐるみはそのままに、
奥手には段ボールか何かの台が用意され、その上にビニールのようなシートが敷かれ、
そこに縫いぐるみがずらりと並べられていた。
よく夏にテレビで映し出される、海水浴場での砂浜にずらりと並んで日焼けを楽しむ人達のようだ。
なんとなく間が抜けているというか、おかしな状況に思わずぷっ、と吹き出した後、
手元の縫いぐるみも「もしかしたら……?」という仮説がなりたった。
距離的にはあのベランダからここに落ちて来た、という可能性もありえなくもない。
間違っていたら、それはそれでいいじゃないか。
どうせ春休みでやることもなく、ぶらぶらしているだけなんだから。
そんな思いで、そのベランダのある家の玄関のブザーを押した。
左手にとりあえずホコリを払いのけた、あの謎の縫いぐるみを持って。
- 757 名前:R.F. ◆uekdll3sCM 投稿日:02/12/01
23:02 ID:???
- ■ぬいぐるみ−2
「はい……?」
玄関から出てきたのは、長身の、髪の長い、きりっとした顔立ちの女性だった。
スタイルもかなり良い方だ。
同じクラスの異性にまったく興味はないが、ちょっとだけ、見とれてしまう。
年は……やっぱり自分と同じくらいだろうか?
あれ、でもどこかで見た事あるような?
瞬時にそのようなことに思いを巡らしてはいたが、彼女がちょっといぶかしげな表情をしたので、あわてて
「あの、これ、あなたのところのベランダから落ちたんじゃないですか?」
と、左手に持っていた謎の物体を差し出した。
「……あ!」
目の前の女性は、自分が持っていたものを見るなり、目を見開き、そして驚いたような声をあげた。
「そこの道に落ちてたんですよ。
ベランダで虫干ししてるのが見えたんで、あるいは、と思って持って来たんですけど、違います?」
彼女は驚きと、恥ずかしさと、喜びを足してかきまぜて三で割ったような、不思議な表情を見せ、
その縫いぐるみ、のようなものを受け取った。
そして、
「あ、ありがとうございます」
と深々と頭を下げてきた。
「(あ……いい香り)」
彼女が頭を下げた瞬間、彼女の長髪がふわりと宙を舞う。
同時にシャンプーの香りが鼻腔を刺激した。
- 758 名前:R.F. ◆uekdll3sCM 投稿日:02/12/01
23:03 ID:???
- ■ぬいぐるみ−3
「それはよかった。でもそれ、何の縫いぐるみなんです?」
彼女の香りに心の一部を奪われそうになった(恐らく顔の表情にも表れたに違いない)が、
彼女が頭を上げるのと同時に気を引き締め、自ら話題を別の方向にもっていった。
なんだ、変だぞ、今日の俺。
「……犬、いや、猫だったかな?」
何が恥ずかしいのか分からないが、顔を赤らめながら彼女は答えた。
彼女の話によれば、先ほどの物体は去年の学園祭の出し物で展示した犬(あるいは猫)の、
自作の縫いぐるみの片割れで、売れ残ったものを自分で引き取ったのだという。
そして今日は天気が良かったので、他の縫いぐるみと一緒に虫干しをしていたところ、
その形状からかコロコロと転がって落ちてしまったということのようだ。
ベランダで虫干しされていた縫いぐるみについては、彼女からは何も語ってこなかった。
本当にありがとう、と彼女から感謝の言葉を受け、多少気分が良くなった自分は、
自宅にUFOキャッチャーから採って来た大量の縫いぐるみが放置されていることを思い出した。
親からは、いらないのなら捨てなさいと毎日のようにせっつかれている。
「そうだ……縫いぐるみ、集めてるの?」
「え……んと……」
はっきりとした答えが彼女から返ってくる前に、自分の口から次の言葉が出てくることに、
自分自身もびっくりしていた。
「うちにさ、ゲームセンターでとったのがたくさんあるんだ。置く場所ないから、よければもらってくれない?」
「いいのか?」
彼女は即座に反応した。
「それじゃ、明日の午後、今くらいの時間でいいかな?」
「……うん!」
彼女の嬉しそうな顔を見て、自分の時間が一瞬止まった錯覚におちいった。
あれ……?
- 759 名前:R.F. ◆uekdll3sCM 投稿日:02/12/01
23:04 ID:???
- ■ぬいぐるみ−4
彼女に自分の名前と電話番号を伝え、明日の午後にまた来る約束をして、俺は彼女の家を後にした。
その際、玄関の表札をもう一度見返し、「榊」というプレートを見て思い出した。
そうだ、三組の、スポーツ万能の榊さんだ。
そうか、運動会とかで何度か目立っているのを見かけてたので覚えてたんだ。
天才飛び級小学生の美浜さんたちといつも一緒に行動してるって話を、
うちのクラスの神楽さんから聞いたことがある。
彼女曰く、あの人は少なくともスポーツの面では、自分にとってライバルのようなものだ、
と、事あるごとに周囲に話していた。
背が高くて、(ちょっときつめだけど)美人で、頭もよくて、運動もトップクラス。
まさに「完璧超人」的な人だということだけど。
縫いぐるみ集めが好きで、(センスはともかく)自分で作ったりもするのか……。
今まで間接的にではあるが聞いていた話から頭にあったイメージと、
少し前まで自分と話していた本人との印象があまりにもギャップがありすぎて、
またちょっと吹き出してしまう。
それと共に、そのギャップが微笑ましかったりもした。
ふと、彼女が頭を下げた時の香りが、記憶によみがえってきた。
「……さて。明日に備えて、早く家に帰って縫いぐるみを片付けるか」
少なくとも明日は、退屈な春休みとならずに済みそうだ。
−終わり−