- 695 名前:R.F. ◆uekdll3sCM 投稿日:02/11/18
22:56 ID:???
- Another Side Story Part 2(From TV Version):ため息、終わりの始まり
■ため息、終わりの始まり〜1.写真
冬の寒さが肌をなで、その寒さから身を守るための厚着で人々の活動が鈍くなるような冬場から、ようやく春らしい日差しが見え始めた二月のある日のこと。
女性にしてはかなり目立つ長身と、その長身を引き立てるかのような長いストレートヘア。
この時期にはまだちょっと早いのではないかと思われる、そしてすらりと伸びた足を強調する、
たけが少々短いスカートを履いた女性が、ため息と共に写真屋を後にした。
その女性の名前は榊。手元には、先日デジタルカメラで撮影した(通称)かみ猫の現像写真。
「(全然うまく撮れなかった…)」
彼女は野良猫の写真の撮影に失敗し、気落ちしていた。
写っていたのは残像や、尻尾など猫の一部分だけだった。
まともに猫全体が写っているのは一枚もない。
先日、友達のかおりんに飼い猫の写真を見せられ、自分でも…と思っての撮影だった。
しかし、先日買ったばかりのデジカメであるだけに、操作もぎこちなければ撮影のタイミングも素人以下。
うまく撮れなくて当たり前といえばそれまでだが、彼女が落胆したことには違いない。
彼女がため息をつくこと自体はそう珍しくない。
理由はさまざま。大好きな野良猫に逃げられたり、友達との会話のキャッチボールがうまくいかなかったり、過去の失敗を思い起こしたり。
何よりも、自分が空回りしているような時(とき)を感じとる時、彼女はため息をもらしてしまう。
ため息をついてしまうような考え方が自分の性格を構成しているのか、あるいは逆に自分の性格ゆえにため息をつくのかは分からない。
しかし、彼女が自分自身が思っているよりもごく自然に、半ば癖のように「ため息」をついていることだけは確かだった。
そして普通の人の普通の癖同様、彼女自身はそれに気がついていない。
- 696 名前:R.F. ◆uekdll3sCM 投稿日:02/11/18
22:58 ID:???
- ■ため息、終わりの始まり〜2.大きな猫
商店街の中央通り、歩行者天国の道をとぼとぼと歩いている榊の目に、ふと見慣れないものが映った。
人間大の大きさの猫だった。
しかもふらふらとではあるが、二足歩行をしている。
「猫さん…だ」
榊は、まず「なんであんな大きな猫が」と思うよりも早く、猫好き…というより可愛いもの好きの性(さが)からか、
「可愛い」という想いとと共に顔を赤らめ、その一瞬後に手で自分の顔を覆う。
「自分のような大柄な女性が、こんなことで顔を赤らめるだなんて」という気恥ずかしさからの行動だが、
これも榊の「自分では気がつかない」癖の一つだった。
まるで酔っ払ったサラリーマンが折り詰めの寿司を持ちながら帰宅するかのような、
ふらふらとした足取りで、その猫は榊の元に近づいてくる。
距離はもう、数十メートルもないだろう。
ふかふかとした猫の肌が見えてくる。着ぐるみなのかもしれない。
榊の心はその猫のとりことなり、自然に足がその猫に向かう。
そして周囲への注意が少しだけ、散漫になった。
その猫の進路上の横道から、別の気配が近づいていることにすら気がつかなかった。
- 697 名前:R.F. ◆uekdll3sCM 投稿日:02/11/18
22:59 ID:???
- ■ため息、終わりの始まり〜3.交差する、とき
榊がそれに気がついたのは、それを視野の端に認めてからだった。
突然、爆音を立てて、着ぐるみ猫の進路上と交差する横道から、一台のバイクが飛び出して来た。
最初はバイクとすら分からなかった。何か、大きな黒と白の物体に見えた。
動体視力、運動神経共に抜群の彼女は、猫の可愛さにほうけていた自分の感情的な部分の精神とは別の部分の、
半ば本能的な思考を瞬時にフル回転させる。恐らく、その時間は一秒なかったに違いない。
「あのままではバイクは猫さんに衝突する」
「助けなきゃ」
榊は手に持っていた失敗写真が詰まった袋も投げ捨て(というより、その部分への注力すら切捨て)、
自分の本能が命じるままに行動した。
自分の全エネルギーを足に集中するかのように飛び出し、猫のところまで一直線で突っ走る。
バイクの甲高いエンジン音が迫り、着ぐるみの猫がそれにようやく気がつくようなそぶりを見せた刹那、
榊はその猫に飛びつき、抱きつくような形で倒れこんだ。
ものこの場にスピードカメラがあって撮影していたのなら、それは次のように映し出されただろう。
すなわち、まず、榊が着ぐるみの猫を突き飛ばす。
その直後にバイクが榊にかする形で接触。
突き飛ばされた榊が猫に抱きつくような形で共に倒れこむ。
軽い接触音とそれに続くどさっ、という人が倒れこむ音、バイクのブレーキ音。
商店街は最後の、ブレーキ音と共に静まりかえる。
買い物をしていてその状況に気がついた人の多くは、バイクと長身の女性、そして人サイズの猫というおかしな情景に、
適切な言葉を発するまでに数秒を要した。
その間に、バイクの持ち主は「チッ」と舌打ちだけをし、再び爆音を響かせてその場を猛スピードで去っていく。
周囲の人が事の重大さに気がついた時には、そのバイクはすでに百メートルも現場から離れていた。
- 698 名前:R.F. ◆uekdll3sCM 投稿日:02/11/18
23:00 ID:???
- ■ため息、終わりの始まり〜4.道に横たわる、猫と少女と
道路上には、大きな着ぐるみの猫、それに抱きつくかのように倒れている榊がいた。
ちょうど、榊の頭の部分が、猫のお腹のあたりにあたっている。
ラグビーでなら、タックルをして相手選手を倒したかのようなような体勢だ。
榊はバイクとの接触時に足を、そして倒れた勢いでしたたか頭を打った。
少し頭がくらくらする。視界が狭まってくる。
彼女は手にアスファルトの冷たさを、そして頬にはその冷たさとはまるで正反対の、
ふかふかとした柔らかさを感じていた。
着ぐるみの猫は、榊に半ば押さえつけられているため立ち上がることは出来ないがため、
上半身だけ起こす形で、榊に必死に声をかける。
「しっかりしてください!大丈夫ですか!」
榊はその声の主が誰であるかを判断する前に、その猫が無事だったのが分かったことに安堵し、
その安心感からか、かろうじて保っていた意識を失う。
がくり、と力を失ったかのように頭を垂れる榊。
着ぐるみの猫は頭の部分を脱ぎ捨て、榊の身体を揺さぶり、声をかけ続ける。
着ぐるみの中にいたのは美浜ちよ、榊の同級生だった。
「あ…榊さん!…榊さんっ!…」
涙ながらに呼び続けるちよに、榊は何も応えない。
やがて、誰かが呼んだ救急車がけたたましいサイレンと共に近づいてきた。
道には榊が夢中のあまりに道に落した写真入れの袋と、数枚のかみ猫の写真が散らばっていた。
−続く−
- 709 名前:R.F. ◆uekdll3sCM 投稿日:02/11/20
22:05 ID:???
- Another Side Story Part 2(From TV Version):ため息、終わりの始まり(続き)
■ため息、終わりの始まり〜5.病室、白い天井
榊が意識を取り戻した時、彼女の視界にまず映ったのは、病院の白い天井だった。
次に、鼻をつくような、病院独特の薬品のにおいが彼女の嗅覚を刺激した。
すぐには自分の状況を認識できなかった彼女は、まだもうろうとしている意識の中から断片的な記憶を整理し、
何が起きているのかを把握しようとする。
「(写真を受け取った後、大きな猫さんが歩いてきて、バイクがぶつかりそうになったので…)」
彼女がそこまで考えてをめぐらせた時、ちよが彼女に飛びついてきた。
「榊さん!」
ちよは涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながら榊にしがみついてきた。
よかった、よかった…と言っているようだが、涙声でよく聞き取れない。
「あれ…ちよちゃん?」
記憶の整理の途中だったからか、榊はまだ状況を理解できずにいる。
が、自分が何故ここにいるのか、その経過を思い出し、整理するのにはそう時間はかからなかった。
ちよの足元に、あの猫の着ぐるみが横たわっていたからだ。
榊は泣き止まないちよの頭を軽くなで、赤子をあやすかのように微笑み、応えた。
「私は…大丈夫だよ」
- 710 名前:R.F. ◆uekdll3sCM 投稿日:02/11/20
22:06 ID:???
- ■ため息、終わりの始まり〜6.生徒と先生
「(そうか…猫さんに入っていたのはちよちゃんだったのか…)」
ならば、バイクにぶつからずに、本当によかった、と榊は自問自答する。
ふと、人の気配に気がつき、ようやく周囲に注意を払う。
病室には、何名かのクラスメイトがいた。
いや、正確には何名かのクラスメイトと先生が二人。
話の輪に入ることはあまりない、特に自分から積極的に話しかけることはないけれど、
いつも楽しそうに話をしている智、暦、大阪。そしてクラスの担任の谷崎先生と、何故か体育担当の黒沢先生がいた。
「ねぇねぇ、大丈夫?」
「私たちのこと、分かる? 意識ははっきりしてる?」
「榊さん、怪我はないー?」
「まったく…運動神経がいいからよかったものの…大怪我したらどうするのよ!」
皆それぞれ、それなりに榊のことを心配していた。
最後に黒沢先生が、自分が何故ここにいるのかを説明する。
「今日は私、ゆかりの家にいたんだけど…水原さんから携帯であなたのことを聞いたゆかりが、
いいから車を出せ、すぐに出せ、病院につれてけってきかないのよ。
あんたが運転しないなら、私が運転するって、ね。
ゆかりに運転させたら、私まで事故っちゃうでしょ?」
くすす、と病室に複数の笑い声が響く。
唯一、谷崎先生は「なによー!」とふくれっつらのご様子。
- 711 名前:R.F. ◆uekdll3sCM 投稿日:02/11/20
22:07 ID:???
- ■ため息、終わりの始まり〜7.ため息と涙
榊が意識を取り戻したのを確認し、皆の笑い声でようやく泣き止んだちよは言う。
「本当に…ごめんなさい。商店街の人たちにのせられて、あんな着ぐるみきたまま…」
真っ赤な目をしたちよは、ときどき鼻をすすりながら説明した。
商店街の福引で猫の着ぐるみを当てたちよは、周囲の人たちにのせられ、
ついつい着ぐるみを着たまま自宅まで帰ろうとしたのだという。
着ぐるみの目の部分にはほんの小さな穴しかあいておらず、外の状況を判断するのは難しい。
ましてや、身動きが取れにくい着ぐるみでは…。
ふらふらと歩いていたところに、榊、そしてあのバイクと遭遇したわけだ。
「はぁ…私って…馬鹿だなあ…」
榊はため息と共につぶやいた。
もっと早く気がついていれば、いや、猫さんそのものにうっとりとせずに遠くから声をかけていれば、
ちよちゃんはこんな怖い目にはあわなかったのに。
榊は自分が一番の被害者であることも忘れる。
そして、ひとりごちたあと、再びため息。
「榊さん…ありがとう。榊さんが助けてくれなかったら、私、どうなっていたか…」
ちよは、榊のため息を見て、また涙を目に浮かべながら榊に言葉を投げかける。
「榊さんがため息をつくことなんて、ないん、です…私が悪かったんです、私が…」
最後の方は、もう言葉にならなかった。
ちよは再び、榊の胸に顔をうずめて泣きじゃくる。
- 712 名前:R.F. ◆uekdll3sCM 投稿日:02/11/20
22:08 ID:???
- ■ため息、終わりの始まり〜8.張り裂ける、想い
自分の胸で肩をふるわせながら泣く事を止めない、可愛い小さな女の子が、自分のため息でさらに悲しい想いをしている。
「自分のため息で、ちよちゃんは、余計に責任を感じて胸が張り裂けそうになっているんだ…」
榊はちよの背中を軽くぽんぽん、と叩きながら想う。
さり気ない自分の行動が、この子を責めてしまっている。
これまで何気なく、何度となく繰り返し、気がつかなかった、いつのまにか癖にもなってしまっている、ため息が…。
これじゃ、いけない。
自分の自己満足のような、自分の不平不満を内心に抑え込んだままにしておかないためのガス抜きのような癖で、
わがままで、友達を傷つけちゃいけなんいだ。
榊は大きく息を吸い込み、そして胸もとのちよに向かって答えた。
先ほどまでの、ため息混じりの弱弱しい声とはまったく違う、力強い声で。
「大丈夫。私は大丈夫だから」
ちよは顔を上げ、さらに真っ赤にした目を榊に向け、安堵の表情を見せた。
「…本当ですか?…よかったです」
大阪がちよちゃんにほほ笑みながら声をかける。
「よかったなぁ、ちよちゃん」
病室にいた他の皆もその情景を見、笑みをこぼしながらうなづいた。
- 713 名前:R.F. ◆uekdll3sCM 投稿日:02/11/20
22:09 ID:???
- ■ため息、終わりの始まり〜9.変わったもの、変わらないもの
頭部を打ったということで念のため一日かけて精密検査を受けた榊だが、
記憶障害や頭痛、めまいなどの症状も無く、結局軽い脳しんとうのみと診断され、
入院は一日だけで済んだ。
ただし十日ほどは激しい運動を止めるよう医者にいわれ、体育も休むことになる。
(また、一ヶ月ほどは週一で通院と検査をすることにもなった)
ともあれ翌々日には元気な姿で登校し、いつものメンバーから心配がられたり、
病院での話を聞かれたりで、少々忙しい一日を過ごすことになった。
何枚か紛失してしまったが、撮り損ないのかみ猫の写真もまた、良い話のネタになった。
また、バイクと接触したときの脚部の怪我も、奇跡的に軽い切り傷と打撲で済んだ。
医者の話では運動神経の高さからか、身体が自然に動き、ダメージを受けにくい避けかたをしたらしい。
接触事故の加害者だったバイクの運転手は翌日警察に自首して来た。
本当かどうかは分からないが、倒れ込んだ女性の姿を見て、怖くなって逃げたと供述しているという。
智はその話を聞き、
「大きな猫をひいたと思って怖くなったんじゃないの?」
と冗談半分に語り、皆の失笑を買ってはいたが、案外その考えは間違いではなかったのかもしれない。
一ヶ月の通院ののち、後遺症も含めて問題ナシと診断された後、榊とその周辺には
またいつもの学園生活が戻ってきた。
しかし以前と比べ、榊はちよにとってよりいっそう「頼り甲斐のあるお姉さん」としての位置を占めることになる。
そして榊も、自分のため息を少しではあるが、注意するようになった。
心は行動に反映され、行動は心に影響を与える。
榊の自分自身の「ため息」への注意が、榊自身の性格を少しずつ変えていくことになるのだが、
やはりその場では榊自身には分からないことであるのに違いはなかった。
−終わり−