- 553 名前:R.F. ◆uekdll3sCM 投稿日:02/10/20
00:06 ID:???
- ■「おっきいうさぎさんだ」
1.散歩道(1)
木々の緑がその色を濃くしつつある、ある五月の晴れた日曜日。
榊はいつものように街中をぶらりと散歩していた。
別にどこかへ行く用事があるわけでもない。
また、「暖かいから」とか「散歩が好きだから」というわけでもない。
彼女の散歩の目的はといえば、彼女の好きな「可愛いもの」とりわけ猫たちと出会うためだった。
かつて中学生時代、彼女はペットショップを散歩のルートに入れていた。
しかし、何度訪れても、猫たちは自分を毛嫌いする。
外からショーウィンドウ越しに猫たちを眺めても、怯えたり騒ぎ立てる。
理由は分からない。
仕舞いにはペットショップの人から、「猫たちが騒ぐから、購入するつもりがないのなら中に入らないでくれ」と言われる始末。
動物好きな彼女にとってあまりにもショックが大きかったその出来事は、
それ以降高校に入るまで彼女をして散歩を止めさせる原因にもなった。
どうして猫さんたちは、私のことを嫌うのかな。
何も悪いことはしていないのに…彼女は時々自問自答すると共に、
理由(わけ)もなく罪悪感に捕われてしまう。
- 554 名前:R.F. ◆uekdll3sCM 投稿日:02/10/20
00:07 ID:???
- 2.距離感
自分は昔からそうだった。
女の子にしてはかなり背が高く、他人からは珍しいものを見ているかのような目で見られた。
勉強もそれなりに出来て、スポーツは一流となれば、
「あの人は違うのね」とちょっと距離を置かれてしまう。
同世代からの視線は、尊敬や敬愛というより、妬みや珍しいモノを見ているようなものだった
(実はそのほとんどは彼女の思い過ごしだった。
ほとんどの人は彼女のことをアイドル的なものとして認識し、視線を向けていた。
彼女の不幸は、それを知り得なかったことにある)
私はもっとみんなと同じ目線で、みんなと一緒に時を過ごしたいのに。
自分自身が思うところの「他人との距離感」がいつのまにか自分の常であるとしてそれを認識してしまうと、
彼女は次第に自分に無いものを求めるようになった。
自分のどこかに欠けている(と彼女が思っている)部分を外部的要因として充足することで、
自分自身も変われるかもしれない、他人との距離も縮められるかもしれない。そう考えたのだろう。
- 555 名前:R.F. ◆uekdll3sCM 投稿日:02/10/20
00:08 ID:???
- 3.小さいモノ、可愛いモノ
そして自分にないもの、と彼女が考えたのは小さいモノ、可愛いモノだった。
彼女の部屋は次第に多種多様の、特に猫の縫いぐるみや写真で埋め尽くされるようになった。
残念ながら母親のアレルギーの関係で、ペットを飼う事はかなわなかった。
彼女は母親を苦しめてまで自分の要望をかなえるほど親不幸ではなかったのである。
また、榊の母親も、自分の子供がどんなことを想い、悩んでいるのかをよく分かっていた。
だからこそ、子供の部屋が次第に縫いぐるみと写真で埋まっていくのを見ても何も言わなかったし、
時々可愛い縫いぐるみを買ってきてもやった。
「この猫はどんな種類なの?」と自分の娘に話しかけ、共に笑うこともあった。
自分のことを心配して「猫が飼いたい」と一言もいわない子供に、さらなる愛おしさを感じた。
- 556 名前:R.F. ◆uekdll3sCM 投稿日:02/10/20
00:08 ID:???
- 4.殻
だがその一方で、榊は自分自身が「可愛いモノ好きである」ことを他人に話すことは決してしなかった。
他人との距離感を縮められるかもしれないという思いはもちろんあったが、
それ以上に
「もしこの事を知られて、もっと変な目で見られたらどうしよう、距離をおかれるようになったらどうしよう」
という恐怖もあったのである。
彼女はいつのまにか、自分自身が半ば袋小路のような考えに縛られ、
自分自身の殻に閉じこもってしまっていることに気がつかないまま、
中学を卒業した。
そして、その学力に叶うだけの結果を出し、偏差値が高めのある高校に入学した。
- 557 名前:R.F. ◆uekdll3sCM 投稿日:02/10/20
00:09 ID:???
- 5.高校生になって
高校に入ってからも、榊を取りまく環境はあまり変わらなかった。
とはいえ、担任の先生があまりにも破天荒だったり、小学生がいきなり特別編入してきたり、
入学してから一ヶ月も経たずして大阪から転校生がきたりなど、
自分が目立つ要素は昔と比べると少ないような雰囲気だった。
それでも彼女がかもし出す独特のオーラのようなものは、
クライメイトを近寄りがたいものにしていたし、彼女自身もそれに慣れていた。
何名かの同級生、特にショートヘアの子が何度となく声をかけてくれるのは嬉しかったが、
その女生徒があくまでも自分を「憧れの対象」として見ているような雰囲気で見ていること、
つまり「やっぱり自分と距離をおいて接しているんだ」と分かると、
ちょっぴり悲しい気分にもなった。
「また、これまでと変わらないのかな」。
- 560 名前:R.F. ◆uekdll3sCM 投稿日:02/10/20
00:19 ID:???
- 6.変われる…かな
中学の時にペットショップの人に叱責されてから止めていた散歩を、
高校に入って再びはじめるようになったのは、もちろんホンモノの猫に触れるかも、
あえるかもしれないという期待があったからに他ならない。
高校入学という人生の変わり目で、自分自身も変わるかもしれない、
いや、変えなくちゃいけないのかもしれない、という思いが彼女自身にあったのだ。
その「変わるモノ」「変えるモノ」に出あえるのかもしれない…。
しかし日々(とはいえ、土日だけだが)の散歩は彼女の気持ちを変えるだけのものを与えてはくれなかった。
木々の緑は心を健やかにしてくれたし、公園の湖は神秘的な輝きをかなで、彼女の心を豊かにしてくれた。
しかし相変わらず猫には嫌われたていたし、心の殻を破るような出来事は起きなかった。
- 561 名前:R.F. ◆uekdll3sCM 投稿日:02/10/20
00:20 ID:???
- 7.散歩道(2)
そしてその日は突然訪れた。
いつものように何事もなく終わりつつある散歩。
変化の無い自分に知らずのうちにため息が出る。
ふと目を前にやった時、彼女はそれを見つけた。
目の前を大きなうさぎの縫いぐるみが歩いてくる。自分目指して。
「うあ…」
「何故うさぎが?」とパニックに陥る前に、その可愛さで思わず彼女は顔を赤らめ、うめいた。
そして目線はそのうさぎに釘付けになる。
「あ、榊さん」
うさぎの後ろからおさげの可愛い女の子が顔を出した。
よく見ると、縫いぐるみそのものが歩いているのではなく、
その女の子が抱えていたのだった。
確かあの子はクラスメイトの美浜ちよちゃんだ。
だが榊の意識は今、その女の子ではなく、縫いぐるみの方に向けられていた。
「ど、どうしたんだ これ…」
その女の子は屈託のない笑顔で応えた。
「商店街の福引で当たったんですー」
「(うさぎさん、可愛いなぁ…)」
- 562 名前:R.F. ◆uekdll3sCM 投稿日:02/10/20
00:21 ID:???
- 8.「友達」
榊はふと、ひらめいた。
「…た、大変そーだから持ってやるよ…」
榊はちよからそのうさぎを受け取り、後ろから抱えこむように持ち上げ、ぎゅっとつかむ。
「すみませんー」
至福の時を得ることが出来た榊にちよがお礼の言葉をかける。
「いや…いい…」
榊は恥ずかしさのあまり、真っ赤な顔が見えないように、うさぎの後頭部に顔を押しつけ、返事をした。
「私のうちはこの先なんですよー」
ちよの指差す方向にあるものを見て、榊は驚きの色を隠せなかった。
自分の近所にある大豪邸が、その指先にあった。
確かに、あの家の持主は美浜という苗字の人だったが、まさかちよちゃんの家だったとは…。
「ちょっとお茶でも飲んでいきましょうか?」
「い、いいのか…?」
榊は驚きを隠せない。
「はい、もちろんです! 高校生の友達がうちに来るのははじめてだから嬉しいです!」
「と、友達…?え、えと、私が…?」
うさぎの後頭部に隠れた榊の顔が驚きと嬉しさでごっちゃになった。科白も、動揺を隠せない。
「はい!」
ちよは榊の方を見て、にっこりとうなづいた。
- 563 名前:R.F. ◆uekdll3sCM 投稿日:02/10/20
00:22 ID:???
- 9.殻を破る日
ちよの家に案内された榊は、ちよの部屋で夕方過ぎまでお茶をした。
うさぎの縫いぐるみのことにはじまり、好きなモノ、可愛いモノ、
学校でのこと、もうすぐ始まる中間テストのこと。
相変わらず口数の少ない榊だったが、ちよがそれを補うくらいに色々と話しかけ、それがまた榊には嬉しかった。
榊は帰路、ちよの家を後にした時の言葉のちよの言葉を反芻していた。
「また明日、学校で!」
明日という日が来るのが、こんなに楽しみなのは生まれてはじめてかもしれない。
あんなに小さくて可愛いちよちゃんが、私のことを友達と呼んでくれた。そして明日また、と言ってくれた…。
明日から何かが変わるかもしれない。そんな期待をはじめて感じさせてくれた散歩を終え、彼女は自分の家の玄関を開けた。
「ただいまー!」
彼女の心を包んでいた殻が、ぴし、と音をたて、ひびが入った。
その殻は少しずつ、だが確実にはがれていくことだろう。